☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ I n f o r m a t i o n ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

本当の自分を取り戻していく「自分を愛そう!」愛の拡大支援クリックご協力お願いします^―^v

人気blogランキング  精神世界ランキング  哲学ブログランキング  ブログランキングくつろぐ

2005年12月25日

わたしの頭の中の消しゴム

news_1031.jpg13_img_1.jpgnews_1031.jpg
私の頭の中の消しゴム




「クリスマスはどう過ごす?」
龍から2日前にそうメールが入った。

どう過ごすと言っても龍は仕事だし・・・。
う〜ん・・・今一番したいことや行きたいところってどこだろう。
おいしいディナーと思ったけど、きっと混むだろうし、龍にぜいたくなことは言えないしなぁ。
ボーっと暖かいところで受動的に2人で味わえることがいいなぁ・・・、映画か!
うん!映画が観たい!
愛に関連した映画が観たい!
で、泣きたい!笑

それで『私の頭の中の消しゴム』を観てきた。

これはわたし自身の個人的な感想だけど、わたしは伯母の死のあとに観ただけに、実はこのアルツハイマーの方が死より悲しいんじゃないかと感じた。
記憶がどんどんなくなる。
しかも新しい記憶から。
肉体の死より精神の死が先に訪れる。

もしわたしがアルツハイマーであったら、龍のことから忘れていく。
このブログもPeaceの仲間も忘れていく。
龍を昔の彼だと思ったり、龍をまったく知らない人だと認知する。
とても愛し合っている恋人が、あるいは伴侶が、自分を昔の恋人と思い、自分に向かって過去の恋人の名前を呼び、愛していると心を込めて言ったならどうだろう。
今までPeace仲間と培った交流や、ついこの前に楽しんだ交流の記憶すらなくし、
「初めまして・・・」とあいさつしたらどうだろう。
恋人だけでなく、自分の子供が、あるいは親が自分を忘れ、交流してきたすべて、楽しかったことや暖かい思い出さえも忘れ去って、
「こんにちは。あなたは誰ですか?」
と、尋ねたらどうだろう。

愛するその人は目の前に実際に存在しているのに、親密さも、愛し合っていることさえも忘れ去られたら・・・。
もう今までと同じように抱き合ったり、言葉を重ねることはないとしたら・・・。


そして時折、記憶が戻ってはまた忘れていく。


わたしは過去にとても悲しい経験をしたことがある。
それは、この映画のように、親友とのある大切な思い出の記憶をなくしてしまったことだ。
忘れた側のわたしは、初めからそのことはないわけだから、友達が何を言っているんだろうとキョトンしているだけだった。
誰かと間違っているのか?
わたしが
「誰かと間違ってるんじゃないの?知らないよ。そんな所に行った覚えないし。」
と言ったとたん、彼女は泣き出してしまった。

わたしは唖然とした。
自分が間違っているんだろうか?
泣く彼女にしきりに尋ねる。
もっと詳しく知ろうと、細かく質問してみる。
でもわたしにはサッパリわからなかった。

しばらくワンワン泣いていた彼女が静まり、
「いいよ。蓮。大丈夫だから。蓮は覚えてないだけだよ。そうやって過ごしたことは本当。だから今聞いて、覚えておいて。」
と、涙目を押さえながら笑ってみせた。

嘘でしょ!?
なんで思い出せないの?
そんな自分がわからなかったし、まさか泣いてまで作り話するはずもない。
わたしは辛かった。
あのときこうだったよねぇ、ほんと大切な思い出だよねぇ〜って、共有できない。
まったく他人の話でしかない。
親友が泣いてしまうなんて。
一緒の思い出、しかもとても大事な思い出を、わたしは何一つ応えることができない。
悲しかった。





映画は案の定、泣きまくり。
この映画は日本の過去のドラマ↓、が元だそうだ。



わたしはこのドラマを友達から見るように言われ、見たことがある。
なぜこのドラマを見るように薦められたか。
それはこのドラマの主人公の健忘ぶりが、わたしソックリだったからだ。
ぜひわたしに見てほしいと言われた。
そして、わたしソックリだった・・・。
もしや自分はアルツハイマーか?・・と嫌でも疑いたくなるほどだった。

でもわたしの健忘ぶりは、物心ついた頃にはすでにそうだったし、周りから変だと言われるネタの一部でもあった。
なぜ自分がこんなに忘れてしまうのか自分でもわからなかった。

友達との約束は初めからなかったかのように忘れてしまうこともある。
さっき言ったことや言われたことを忘れてしまうこともある。
自分が何をしようとしていたかも。
物の名称も見事に忘れる。
台所で火を使っていることも忘れ、何回ボヤを起こしたかわからない。
レンジでチンしていたことも忘れ、後日カビがはえて発見したことなんてことも。
友達との思い出をなかったかのように忘れ、泣かれたこともある。
よく知ってる町で道に迷うことも。
ATMの使い方は何度教えてもらっただろう。
同じ景色や店を毎回、初めてと思い何度、感激するだろう。
(友達たちは羨ましがった。笑)

龍ともある。
例えばこんなだ。
一緒に映画を観たことも忘れ、
「この映画すごくいいよ〜。こんな感じの内容でね。オススメだよ〜。」
って。
龍は唖然とし、
「その映画、誰と観に行ったの?」
と聞く。
誰とだろう?
どこで見たんだろう?
どんな日で、どんな時に観たんだろう。
記憶をさかのぼろうとするけどまったく思い出せない。
龍が何かヒントとなるようなことを言った。
ふいに記憶が蘇りだした!
繋がりだした記憶の中で、隣りの席に座っていたのは?・・・龍だ!

血の気が引いた。
龍は
「一生このこと言ってやるからなぁ!」
と、冗談で言った。
けどわたしは今までさんざんにいろんなバックボーンがあるだけに、1人、悲しかった。

今日もそうだ。
映画の帰りにご飯に入ったところは全席禁煙だった。
そうなのかぁ・・と思っていたのに食べ終わる頃には忘れ、リュックから煙草を出しすいかけようとして、
「蓮!ここ禁煙だって言われただろう!」
と、注意された。

ほんのささいなことだけど、細かなことはキリがなく、そんなわたしと一緒で龍が腹を立てるときもままある。

ちゃんと言っただろう!
人の話を聞いてなかったのか!
あのとき、蓮はこう言っただろう!
なんで覚えられないんだ!
などなど。

あるときは、すごく深刻な状況に陥った。
あることで、
「もしお金が足りなかったら悪いけど足してくれな。たぶんギリギリいけるだろうから。」
「うん。いいよ^^」
と約束してたのに、いざ精算の時にはすっかり忘れていた。
そしてわたしにとって突然、お金を出すように促がされたことで、(しかもそれはラブホ代だった)不機嫌になり、
「あとで返してね。」
と言った。

まさかお金が足りなくて言ったとは知らず、あるのにしかもラブホ代をわたしに出せなんてどういうこと!?他のものをおごるなら全然かまわないけど、なんでよりによってラブホ代なわけ?・・となっていた。
わたしはラブホ代は男が出すのが2人のためにふさわしいと思っているし、びっくりするかもしれないがスピリチュアル的にもその方がふさわしい。
これはすごく濃い意味を持っているので、簡単には説明が難しい。
余談&蓮ごとになるけど、ラブホ代を女性に出させる男性とのお付き合いはやめておくことをお薦めする。

龍はわたしが出してくれるもんだと思っていた上に、不機嫌に返してと言われ、内心かなりムカツイていたという。

そして帰宅途中、晩御飯を食べていなかったので、コンビニで買って帰った。
龍はコンビニには一緒に入らず、外で待っていた。

一緒に買ったブレス用の編紐を、帰り、わたしの家により2人で半分こにすることを忘れていたわたしは、一緒に家に上がろうと向かう龍の様子を見て、うちに寄るんだと・・・ただ漠然にそう思った。

そして上がって
「分けたらすぐ帰るし。」
と言った龍に、
「何を?」
と、尋ね、言われてすぐに思い出した。

そんなやりとりをしながら龍はわたしのPCをいじり出したので、あまりにお腹を空かせていたわたしは、
「ごめんだけど、これ食べさせてもらうね。」
と、袋からお弁当を取り出した。
すると龍が
「俺のは?」
・・と聞いた。

「へっ!?買ってないよ。龍、何も言わなかったじゃん。それに家に上がらず帰るもんだと思ってたし。」
すると龍があからさまにムッ!として、
「俺はもう金がないの知ってるだろ!帰りの電車代が唯一残ってただけだ。帰りも寄る予定になってたし。普通、自分の分だけじゃなく俺の分も買おうとするもんだろ!」
と、怒りをあらわにした。

ショーゲキだった!!
龍がもうお金がないことも忘れていたし、帰りに寄ることも忘れていた!
たとえ寄っても、彼はいつも家に帰ってご飯を食べる人で、今までも帰りに寄ったときにご飯を勧めても、帰ってから食べるからと言うのがお決まりだった。
我が家で食べたのは今まででたった2回しかない。
つまみたいときは、いつも我が家に来る前にコンビニでおやつ程度を買ってきていた。

わざとじゃない。
でも忘れてしまったのはわたしが悪い。
悲しみしかなかった。
龍も何かほしいものがあったなら、ちゃんと声をかけてほしかった。
すでに龍はラブホから、内心かなり不機嫌だったんだろう。





誰もわたしが障害だとは知らないが、親や親の古い職場の人間なら全員、わたしが何かを抱えていると思っている。
さまざまなことが多発するからだ。
なので物事をわたしに頼むときは注意深く頼む。
1度にたくさんのことは頼まない。
1度にひとつづつ。

約束事は、約束をするときにノートに書いているか確認される。
そして1週間前、5日前、3日前、前日、当日、1時間前に連絡が入る。
大人になっても普通じゃないとよく言われてきたし、よくも今まで社会生活ができてきたもんだといろんな人に言われ続けてきた。
妙に子供のまんまな部分を持ち合わせているのも、何か知能に障害があるのでは?・・と言われた。

細かいことを上げればきりがないし、わたしにとって実は社会生活は非常に困難が大きかったのは事実だった。
幼い頃からそうで、今ようやくわたしの周りがボケ始めたことでだいぶ気が楽になった。
ボケぶりの話が通じるところが出てきたからだ。笑

ドラマを見て、あまりにわたしがソックリな症状を持つがゆえ、友達は心配し、わたしも幼い頃からいったい自分はどうしたことだろうって思っていただけに、自分を知る作業がこの頃から急にピッチが上がった。
わたしの場合、ただ忘れやすいどころではなかった。
社会生活が実際、困難だったのは事実だった。

そして自分を知る作業で行き当たったのがADHD、多動性注意欠陥障害。
当時、いや今もかもしれないが、この障害に関して日本は大変な遅れをとっている。
実際、日本にはこれをみれる医者が数人しかおらず、診察は何ヶ月待ちの状態だった。
友達の援助や、ADHD支援の援助もあり、ようやく半年待ちの診察に福島まで訪れた。

そこでわたしはADD(注意機能欠陥障害)と診断された。
遺伝子に関係があり、昔はLD、学習障害に区分されていたそうだ。
共通する何かしらの特徴があるとはいえ、結局は10人10色。
わたしの場合は特に脳の分泌物が正常に作用しないため、特に記憶に関して著しく障害を担っていると言われた。
これは生まれたのちに起きたわけではなく、先天性、生まれもってきたものだと判断された。

ADHDの、ある特徴だけを特別にメディアで取り上げたために、わたしもそうじゃなかろうかと多くの人が殺到し、本当にこの障害で社会生活に困難を覚えるものにとっては、ただでさえ見る医者が少ない中、大変なことになっていると医師である先生が教えてくれた。
殺到するほとんどの人が実は違うと言っていた。

先生はとてもあったかい人だった。
わたしの状態をまったく言いもしなかったのに、次々と言い当てていった。
看護婦さんが部屋につくわけでもなく、診察はまるで書斎?大学の研究室?みたいな雰囲気で、白衣をきた当の専門医である男性の先生と、同じく白衣を着た助手の女性の人だった。
その女性もとてもほがらかで、先生もわたしたちも一緒になって笑ったりした。

「今まで大変だったね。辛いことがいっぱいあっただろう。たいがいの親は自分の子供がまさか障害を抱えて生まれているとは気付かない。五体満足だしね。目に見えてわかりやすい障害を抱えているわけでもない。普通の子供のようにできることはできる。だが、やはり障害を抱えているだけあって、やはり普通の子供とは違う何かしらは絶対あるし起きる。自分の子供が普通だと思っているだけに、障害の症状が出ていても親にとっては、なんでできないんだ、なんでわからないんだ、となるし、あなたの場合、記憶もからんでいるからなんでさっき言ったことがわからないんだ、何を聞いているんだ、など、たくさん言われ続けてきたと思うよ。細かいことを取り上げたらきりないよね。でもそれらは親の怒りを買うことになる。だからこの障害を持つ子供は、親の暴力や精神的虐待にあうことが多い。それが、二次的障害を引き起こす。」

先生は色んなことをとても丁寧に教えてくれた。
「メモをとりなさい・・とは助言したいけど、そのメモさえ管理できなかったり、書いたことを忘れてしまったり、書いたものを見ても思い出せないこともあるだろう。それでも取り組み続けるしかないんだよ。この障害を治せる薬はないんだ。」

わたしは自分に何があってこうなのかを知ることで、不思議なことに安堵を感じた。
やっとわかった。
やっと、なんなのかがわかった。
まるで、暗闇から光へ解放されたようだった。

それでも最初は怒りに震え、怒りがおさまらなかった。
どこにこの怒りをぶつければいいんだ・・・。
親もわざとわたしをそう産んだわけじゃない。
なんでこんな風に生まれてこなきゃいけないの!

そして次に悲しみに陥り、どうして親はわたしの状態に幼いときに気付いてくれなかったんだろう。
どれだけ大変なことが今まであったか。
悶々と悲しみに憂い、哀しむのさえほとほと疲れてしまった。

そしてそれがようやく安堵に変わった。

そのことを先生に告げると、
「たいがいの人が同じ経過を味わっているんだよ。」
と教えてくれた。

少しでもわたしの状態をよくするために薬をすすめられた。
しかし薬は、個人個人が10人10色なために、まったく同じものではないらしく、わたし用の薬を調合するため何日もかけて徹底的な検査を行なうことが決まった。

泊りがけで再度、福島に訪れるために指定された何枚もの書類を渡され、予約の手続きを言われるがまま済ませ、帰途についた。
帰ってからずっと悩んだ。
薬はやはり飲みたくない。
思いきって先生に直接、相談するため電話をかけた。

「薬を無理には薦めないよ。嫌だと感じながら飲むほうがなお悪い。好きにしていいよ。ただ・・、先生が心配なのは、社会生活だ。今までが困難だったようにそれはこれからも続く。仕事にだって影響は出ているはずだ。今のまま頑張るのもいいけど、もし社会生活がもっと困難になったり、さらに辛い状況が出てきたら、必ず先生に言ってくるんだよ。決して1人で悩まないこと。この障害を本当の意味で理解できる人は少ない。あなたの親がそうであったように、五体満足で、あからさまに足に障害があるとか、目に見えてわからないものに対して、人は本当にはなかなか理解できないもんだ。先生のプライベートの電話番号を教えるから、この病院か、この番号にいつでもいいから電話をかけておいで。躊躇することなくかけてきていいんだからね。」

そう言ってくれた。
お医者さんで、こんな人って出会ったことないなぁ。
すごい人だなぁ。

先生が言った、
この障害を本当の意味で理解できる人は少ない。あなたの親がそうであったように、五体満足で、あからさまに足に障害があるとか目に見えてわからないものに対して、人は本当にはなかなか理解できないもんだ・・・って言葉が印象的だった。
まるでスピリチュアルみたいだとそのとき思ったのを覚えている。





人に障害を話したときの反応は2通りある。
これはなぜかどの人も共通している。

親身になって耳を傾け、質問をし、理解しようと自発的な人。
その上で個性としてとらえ、困難さも理解しようとする。

もうひとつの反応は、軽くそれも個性でしょ・・・と、それ以上立ち入らない人。
立ち入らない人は、深刻にならないように軽く振る舞おうとしているらしいが、決して自分から積極的にはその話には触れないし、質問すらしてこないし、話をさけたり流したり、個性だからいいじゃんで終わらせる。
つまり、理解しようとすることから自ら遠のく。

真剣に人と向き合う人ほど、真剣な関わり方、理解を心がける・・・これが障害を通して知ったことだった。
つまりは人自身を知ろうとする。
これらの姿勢は、障害があろうがなかろうが、人として人とどう向き合うか・・・の、姿勢だと思う。
霊的に言えば、自分とどう向き合うかの姿勢の、他者への具現化。
わたしはそう感じる。





ところがその後、自分が霊的にインディゴチルドレンだったことを知る。

なんとインディゴは、このADHD/ADDに間違われやすいそうだ。
なんてことだ!!

昔は今よりもっと霊的な子供に対する情報は少なかっただろうと思う。
今でこそ、インディゴやクリスタルチルドレンの本が出版されているけど。
自分の子供がインディゴであったり、クリスタルであることを親が早々に気付いて子育てできる環境に向かい始めている。

やはりクリスタルも、一般の子供たちとはまた違った特徴を持ち合わせ、霊的に育てられるのと、そうでないのとでは、わたしのように雲泥の差だと思う。
特に先駆者の、多数のインディゴがグループとして降りる前のインディゴたちは大変だったという。
(もちろんわたしもその1人だが。)
自分の意志で降り立ったとはいえ、いざこの現場の地球においてとなると生きることが馴染めず、自殺にいたった魂たちもいるという。

すでに今までの日記に書いてきたように、わたしが変だという扱いをされたのは何もこういう障害のような部分だけじゃなかった。
霊的に感じ話す、霊性さや感覚も、親や周りから変だと言われ続けていた。

なぜ、医者が障害だと誤診してしまうようなさまざまな特質があるのかはわからない。
また医者の少なさ、専門としての経験の浅さ、はっきりとそうだと決定できる医療道具がないこと。
つまりその先生の判断でしかないのだ。
クリスタルも誤診される恐れがあるだろう。





実際、医者が障害だと判断するほどの何かしらの持ち合わせを、それを理解されないことによって生きることで、さらに2次的障害と医師・心理界では言われる、今度は本当の精神的疾患を生み出す。
それがさらにインディゴの特徴+α、いろんな困難を生み出す。

例えば、これはわたしが体験したことだが、極度のストレスや精神的苦痛を味わった場合、かなりの短期間の内に極度に視力や聴力が激しく低下する。
元々インディゴとして音に関するある特徴をもっているけれど、それは決して実際に聴力が低いわけではない。
実際、聴力は正常なのにインディゴの特徴として音が通常の人とは違う特殊な部分を持っている。
それに+α、二次的障害のストレスや精神的苦痛により、今度は実際に身体にまで異変が起きるとどうなるか。
さらに大変さが倍増し、生き辛くなってしまう。
簡単に言ったが、こういう事柄がいろんな随所に多発したらどうなるだろう。





そしてこのわたし自身、大きくはっきり言えることがある。
それらはスピリチュアル(愛)とともに改善される!!ということだ。
事実このわたしが大きく改善された!!
前半は過去にあったわたしの健忘だが、今はほとんどない。
龍とのやりとりで表現した程度に済んでいる。

薬は書いた通りいっさい服用していない。
もちろん、インディゴの特徴は持っているが、そのあるがままのインディゴ状態に戻っていくことがわかった。
2次障害と言われる部分が癒され、在るがままの本来の状態に。





龍が言っていた。
「自分で自分のことをインディゴという人がいるし実際に逢ったけど、インディゴじゃないね。霊的にも会ってそれを感じたし、実際、本物のインディゴ(蓮)と付き合っているだけに、それがよくわかるよ。」





インディゴにもクリスタルにも、障害のように理解者が本当に必要だと思う。
理解しようと接する気持ちや、霊的な理解ほど必要としている。(特に自分自身を知らない間は)
またインディゴやクリスタルは、障害をもつ人のような霊的役割のように、人に対して霊的起爆剤のような役割があるんだろう。
そして自分自身、障害かのような、また霊的特長を通し、その役割を自ら担うことによって、ある意味、強制的に、いやかなり積極的に愛を学ぶことを自発的に決めて降りたんだと思う。

そして今あるわたしの頭の中のインディゴ消しゴムは、わたしにとってもそれに触れる人にとっても本当に不愉快な思いをさせてしまうこともあるし、互いに大きく愛を学ぶことにもなる。
嫌なこともまた手放すことも無理なく消しゴムで消されることが多いので、とっても便利だ。

そしてこの消しゴムは、スピリチュアル(愛)に、シンプルに生きることを強制される
以前書いた、根源との統合のエネルギーのように。





本当の自分を取り戻していく覚醒イニシエーション拡大支援クリックのご協力お願いします^−^
人気blogランキング  精神世界ランキング  哲学ブログランキング  ブログランキングくつろぐ

本当の自分を取り戻していく覚醒イニシエーションの拡大支援のお願い














posted by dozen at 04:35| 09 Lotus Life | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。