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2006年01月19日

まさにすべては自分そのもの

ここ1ヶ月、わたしは『リラクゼーション』というメッセージを多々受けてきた。
ことあるごとに『リラクゼーション』するようにと。

0117:2006
Oneself entirely
Pfoto : dozen/Ren
060117.ren.jpg


共同創造へ向かうためのブログの維持や、Peace、dozenのライトワーク、龍との関係、母子家庭の維持もある・・・、これらすべてに情熱をもって行動してきて、年末から疲れが見え始め、1月に入って何度もリラクゼーションを言われ、とうとうこの1週間はピークを迎えてしまった。
おまけに引っ越しが目前にせまり、その準備にもう数日しかない上、横浜行きも目前。


ピーク!
その証拠に、わたしの内なる具現化が起こった。
そう、龍の激切れ!
(龍は大した怒りではなく、ただこの際はっきり言っておこう!と思ったそうだが、わたしの霊的視点からは、そうは感じなかった。)
時々、龍は唐突に切れる。
一瞬で。

この癖は、わたしにはとても受け容れがたいものだった。
切れる状態になるまでに、なぜ話し合わないのか、切れるという表現の仕方ではなく、なぜ事の事実の改善を目的に、普通に話し合えないのか。

わたしも過去は、激切れや怒りを炸裂させるような部分を持ち合わせた人だった。
もちろん自分は間違っていない、自分の怒りは正しい・・・とさえ思っていたほどだ。

そして龍も間違いなく、自分が怒るのは正しい、間違っていない、悪いのは蓮だ。・・・明らかにそう思っている上で怒りを爆発させたのは一目瞭然だった。
昔のわたしを見ているようだった。

こういう怒りを爆発させるには、心にいろんなものを抱えている
ちゃんと愛されていない、と感じていたり、そう感じていれば、何かがあったとき当然ないがしろに扱われているとも感じる。
分かってもらえていないと感じていたり、自分が劣っているように感じていたり、
何かをするにもそれには見返りや期待、条件というものが含まれる
ようにもなってしまう。
人を批判することや、人のミスやエゴにフォーカスがいき、それを見つけ出しそれを機会に、その貯まった感情を人に吐き出すことで、自分の内に貯まったものを一時的に緩和させるようになる。(根本的には緩和にならない。愛を養うまで。)

リラクゼーションするようにと明らかに何度も促がされていたにも関わらず、わたしはそれを無視し、つまり、自分をいたわる、大切に扱うということをしなかったために、そう、自分をないがしろにしたために、龍を通して爆弾が落ちた。

龍はわたしでもあり、わたしは龍でもあると感じている。
これは根源(神)からの視点であって、肉的に言えばわたしの内なる一部である男性性の具現化とも言える。

わたしである龍(わたしの男性性)は、心に色々なものを抱え、たまらずわたしに投げかけた。
その状態を見てわたしは、自分の内に何が起きているのかを悟り、龍の内にも何が起きているのかを悟ることになった。

互いに互いを、そして互いに自分自身をないがしろにしていたのだ。
互いに、パートナーにちゃんと愛されていない、と感じていた。
(つまりは自分が、自分自身をちゃんと愛せていない、の具現化。)
それを緩和させようと、相手(龍=わたしの男性性はわたしに)に怒りという感情をぶつけた。

わたしは自分の内でぶつけ、龍は実際にぶつけた。
実際にぶつけたのも単に、吐き出せるきっかけがあったにすぎない。
今回たとえぶつけなかったとしても、別の機会でぶつけただろう。

結局、互いに相手(人)にしていることは、自分に対してすべてしていること。


わたしはこの出来事が起こるまでに、何かざわつきを内でずっと感じていた。
そのため、2人の関係を向上させようと何かをしなくちゃ、何か今までとは違う矛先からの実践できるエッセンスがほしい・・・そう感じていた。

それだけにお正月の伊勢への道中で見つけた本は、もってこいのアドバイスであり実践ネタだと思った。
それを龍に話し合意を得たが、結局、龍は実際には話し合う機会を持とうとせず、わたしもそう反応する何気ない龍の姿勢に、わたし自身も!対応しなかった。
つまりこれは結局お互い、相手に、つまり、自分に向き合わなかったのだ。

日々のdozenのライトワークや、また違う分野の自己探求に追われ、それを互いに向き合わない理由にしていた。
ここにも、2人の内が具現化している。
そして、わたし自身の。
リラクゼーションしなさい!・・・と何度も言われていたにも関わらず・・・の、姿勢とまるで同じことだ。

2人の関係に何かがおかしいと感じ続けていたのは結局、自分の内の何かがおかしい・・・と感じることに等しい
すべては自分だと知っていながら、自分の内を直接観るよりも、それよりはまだ外にある2人の関係に事をすりかえ、わたしは答えを見つけ出そうとしていた。

わたしは自分の肉体の内に、恐怖のエネルギーが増していることには気付いていた。
高次のエネルギーが増せば増すほど、手放すためのエゴのエネルギーが内奥から押し出され(浮上)てくる。
統合に向かう素晴らしいエネルギーではあるけれど、この一体化のこういうエネルギーの作用をうらめしくまだ思っているのも事実だ。
サナンダは、それを歓びなさい・・・と言っているけれど、そしてこうやって解放されるために押しだされてくるのはいいけど、通過するときは正直、決して心地はいいものではない。



互いの内に起こっていることが、とうとう具現化することによって、わたしは大いに気付きを得た。



2人の関係のこと、龍のこと、自分自身のこと、そしてdozen自身、さらにはdozenだけじゃなくみんなが何を具現化しているか、何が起きているかまでも知ることになった。

低次生命体(+α幽玄界)鞍馬の写真に写っていた神仏の正体(天使=デヴァ。神の創造が行なわれる際、それを実行するための機能を持った神の知性のインパルス。)、エジプトに促がされていること、龍にしてもらった過去とごく最近のセルフウォークガイドで、わたしが触れたレムリアとゴビ砂漠上空の評議会、移動しろと促がされたことがある土地に関連するアトランティス、そしてdozenの役割
このすべてが、すべてに繋がっていた!
そのことに気付かされた。

龍がわたしに怒りをぶつける数時間前まで、わたしはある1冊の本からある情報を促がされ、その箇所を読んでいた。
もし、これを読んでいなければ、ここまでの深い気付きは明らかになかったと思う。




わたしは龍にこういうメールを送った。



今から話すことはわたしたちのことだし、わたしたち2人共のことについてね^^
そしてつまりは、すべてはわたしのこと。
だから最後までちゃんと読んでほしい。
いろいろな気付きがあったから。
できたら携帯ではなくPCで、じっくり読んでほしい。

昨日のあのできごと(怒りをぶつける)から今日の流れとで、何を言わんとされているかがさらにわかってきた。
統合(アセンション&自己統合)に向かうからこその浮上するエゴは、さらに統合していくために、エゴを愛に変換さす作業が求められている。
統合のためにエゴを浮上させ、そのエゴを解放し、愛で内なるスペースを変えていくことで、さらに統合に向かわす。
それらエゴの浮上は、どんな愛について訴えているのか。
それはわたしたちの、愛をしっかり育む
ように。
そしてそれは自己の真実の愛を育むように・・・と同じことだね。

なぜ恐怖のエネルギーが特に今、わたしに浮上しているのか。
これには龍が引き寄せた低次の地球外生命体とも関係がある。
龍が引き寄せたということは、当然わたしの内にもその出来事の具現化を引き寄せるものがあったということ。
ましてセックスは、互いのエネルギー(オーラも含)を融合し合う。
龍に低次や幽玄界のエネルギーを引き寄せるエゴがあるなら、そのエゴのエネルギーさえセックスで融合するだろうし、そうやって自分に融合させる何かエゴをわたし自身も内に有していたことになる。
だから、事が起こる。
それらエネルギーがわたしの内のそのエゴを、さらに増長させるよう加担した。

その恐怖(エゴ)のエネルギーが訴えているのは、「分離」だった。
わたしたちに当てはめれば、わたしたち自身の関係が今、分離の傾向にあるから。
このまま放置したとするならば、分離・・・、自然に別れがやってくると思う。
それほどのものが、わたしにも、龍の内にも起こっている。
さらなる統合に向かうがためゆえ、それほどまでに今、愛の選択か分離の選択か、どちらを実際は選んでいるのかの再確認を迫られている
わたしはその分離を恐れて、まさに分離のエネルギーそのものの恐怖のエネルギーを感じている。

わたしは単に恋人同士の分離(別れ)を言っているんじゃないよ。
わたしたちはdozenであり、dozenそれぞれのこの地球に降りた目的、自分たちが担いたくて担った役割、霊的意志や意図までもが関係している。
それらすべてを含めて、それらが分離、崩壊する影響の大きさに恐れを感じている。

昨日、龍はわたしに、
「いい加減にしろ!!」
と、感情をあらわにした。
つまり、怒りをわたしにぶつけた。
もちろんわたしが、そう言われるに値するものを持っているから。

けれど霊的視点で同時に観ているわたしにとってはあのとき、龍は自分の女性性であるわたし、つまり自分自身に、愛ではなく、怒り(恐れ、エゴ)をぶつけることによって対応したと感じたんだ。
それでわたしは一瞬にして、その行為に対し悲しみを抱いた。
龍のその姿勢は、龍自身のものであるし、わたしのものでもある。
男性性(男性)が、女性性(女性)を愛ではなくエゴで対応し、分離を促がす
そしてそれを引き寄せ、促がすことも女性性(女性)はしているから事は起こる。
循環してるんだよ、エゴもね。

愛のみで本当に接しているならば、言葉や振る舞いに怒りというエネルギーは混ざらないはず。
本当に愛をもって起こっている現状を話し、じゃあこれからどう気をつけていこうかと話し合えたはず。
怒りをぶつけるということは、愛という統合に向かうエネルギーではなく、分離に向かうエネルギーで対応している。
龍だけでなく、龍もわたしも今、互いに分離する(エゴ)エネルギーが、愛のエネルギーを上回ってしまっている。
それをわたしは内で恐れていたし、霊的広大な範囲の意味で恐怖のエネルギーとして感じていた。

呼吸法を教える和尚(OSHO)の話にも出てくるけど、マインドからのコントロールをわたしたちは、手放す段階が必要になってきている。
わたしたちが成熟すればするほど、霊的高度さを味わうプロセスが待っているし、それに必然的に取り組まされるだけのエゴが浮上してくる
マインドは、判断することを好む。
自分は間違っていない、正しいなど、判断。
善悪


昨日、龍がわたしに怒りをぶつけたのも判断の上。
自分は間違っていない、自分は正当、悪いのは蓮。
だから自分が怒る(エゴのエネルギーをぶつける)のは、正しいことだと。

それらはわたしへの具現化で現れているだけで、実際は龍の内で起こっている。
自分が自分に対し、「いい加減にしろ!!」と言っている
しかも愛ではなく、エゴで。
ますます分離に向かってしまう。

物事を改善・向上し、修正するにも、愛をもっておこなうのと、エゴでおこなうのとでは、まったく違ってきてしまう
目的は、改善なのに。

わたしが夢で観た龍との別れ、またよりをもどしたいと龍が言う内容の夢や、龍に足が3本あった夢。
これらも今回に繋がっている。

わたし自身に起きていることは、わたし自身の問題であり、龍の問題でもあり、わたしの夢は過去を振り返っても、わたしだけのための内容ではないことも多い。

龍が低次の生命体を引き寄せるほどのエゴがあったのも、それは龍だけの問題ではなかった。
わたしにも何が起きているのか、しいてはわたしたち2人にとって何が起こっているのか。
そのポイントは、愛より、分離というエゴが上回っていたこと。
判断し、善悪でパートナーに対処・対応する姿勢。

これらは宇宙(高次・惑星)そのものの過去(歴史・事の流れ)や過去からの流れを象徴している。
わたしたちツインソウルの分離のわけも。
だから、エジプトや、鞍馬や、わたしがおとついに読むよう促がされた情報の、それら壮大な宇宙の過去の流れを知ることが今、とても重要なこととして関わってきている
それらはすべて、自分たちの統合や、自分たちのアセンション、地球のアセンション、宇宙の統合にまで繋がっている
これはdozenだけの個人的な話しではなく、人類にとって、いろんな生命体にとってのね。
すべての創造や宇宙、高次や惑星の歴史、事の流れに無関係な人は誰1人いないもの。

そんな広大な霊的なことにわたしたちは触れているし、さらに触れていこうとしている。
わたしが、霊的に広大な範囲の恐怖を逆に感じるのも、決しておかしくはない。
高次のエネルギーが上昇する分、エゴ(霊的宇宙的体験の過去含)も浮上するのは必然なんだから。

それら広大な霊的さが、今、現実リアルな問題としてわたしたちに表面化している。
各自の抱える分離を恐怖を、パートナー(他者)に投影しているし、実際、愛ではなくエゴで対応している。

自分は間違っていない、自分は正しいと。
そこには統合とは反対のことをしている。


今のわたしたち、これからのわたしたちは、注意を払いすぎてもおかしくないほど、愛に徹底的にフォーカスし、その継続を求められている

わたしたちに触れる人たち(Peace仲間も含め)が、わたしたちにぶつけてくる内容、示すものが、なぜ最近そういうものだったのか。

人や外に起きる物事を通し、わたしたちはわたしたちを知り、わたしたちに起きるものごとを通し
わたしたち各自の内に起きているものごとに、細心の注意を払わなければならない
わたしたち各自の内に起きているものごとに細心の注意を払えるならば、分離ではなく愛に向かえるし、統合に向かえる

これらわたしたちのこの姿勢は、わたしたちを通して何を具現化しているか。
それは、神であり、宇宙の状態、エネルギーを具現化している。
神もずっとこれらプロセスをエネルギーとして味わってきている

龍の持つ気にかかるエゴ、目には目をの姿勢やジェラシーは、堕天使ルシファーや幽玄界に繋がるほどのエゴだよ。
龍は、目には目をの姿勢をわたしによく向ける。
これだけのことをしたんだからそれだけのことをしてよ・・・という欲求(エゴ)もこの姿勢には含まれている。
つまり条件つきの行為
目には目をの姿勢は、これだけのことをしたならそれだけのことをしてやる・・・という、これも条件つきのもの。
片方は見返り、片方は仕返し
見返りと仕返し。
同じ類のもの。
以前わたしが自分の日記で取り上げたプライドに、傲慢さと謙虚さがあったのと同じ。
表現や出方が違うだけのこと。
これらをわたしに向けるたびに、わたしたちは分離し、あるいは分離が蓄積され、龍の内も分離していく。
低次生命体を引き寄せるには、引き寄せるだけの強いエゴが浮上しないと引き寄せられない。

そして実はこれほどのエゴは、誰でも内奥の奥深くに持っている
それを進化や成熟の向上が高くなっていくと、手放す(解放)ため浮上してくる。
違う視点から言えば、それだけのエゴに対応する準備(愛)が出来ているからこそ浮上し、濃度の濃いエゴが表に出てくる
そしてそれら具現化のものごとをわたしが味わうのは、質は違えど、味わうだけの引き寄せるエゴをわたしも内に抱えていることを表わしている。

龍もわたしも互いに相手を批判し、怒りをあらわにする前に、相手が自分自身でもあることを忘れないようにしたい。
相手にぶつけるエゴは、自分に対しても愛のない行為そのものをしていることと同じだし、自分の内の分離と、相手との分離を促進させるだけ。
そういうことを続ければ続けるほど、最終は分離や別れが待っているだけになる。
相手を悲しませ、愛のない状態へと自ら促進させ、自分もその結果を味わうことになる。

ある探求者に言わなければならなかった「目を覚ましなさい」は、わたしたち自身のことだし、あるPeaceワーカーがぶつけたきたワーカーの内のおごりは、龍自身のことだし、龍にあればわたしの内にあること。
ある依頼者のエネルギーもれも、その人に送ったアドバイスも、また、石を依頼した依頼者の石に対する姿勢も、Peaceワーカーそれぞれに起きていることも、すべてがわたしたちの内の一部の具現化。
たとえ、質の違いはあれど、わたしたち自身2人の内にあるものを見せられている

家族に起きていること、友達やパートナー同士に起きていること、しいては地球に起きていること、そのすべては自分の内の具現化。すべては自分(=神)。すべては繋がっているしワンネスだから。


わたしたち2人が愛よりエゴが上回るなら、わたしたち自身が相手にエゴで対応するなら、自分で自分を潰すことになるし、それはdozenもPeaceも崩壊する。

レムリアやアトランティス、エジプトなどの(歴史の)在り方、さらにそれらに関わった神々たちの姿勢から学ぶ教訓は、わたしたち自身の教訓であり、統合に向かうのか分離に向かうのか、愛で対応するのかエゴで対応するのか、それらがどんな答えや結果を出すことになるのか、だからエジプトに行くよう促がされ、肌身にリアルに感じて来い!と言われてる気がする。
また今生も同じことをするのか!と。
だから、2人がパートナーとなってから、今も、これからも必要ならば、教訓を思い起こさせるための場を通してリアルに体験させられていくんだと思う。

一事は、エジプト行きがなくなったと思えたし、わたしたちは思っていた。
それは・・・2人にしっかり愛があり、愛にフォーカスしていたからだよ。
その証拠に根源にも至れた。

ところが、今はこういう2人の状態。
互いにないがしろにし、判断し、エゴで対応し、自分は正しいと思い、批判し、目には目をで対応する。
だからこそ、そこでエジプトに行って来いと言われた。
しかも去年の3月にそう言われ、実際に向かうのは翌年、つまり今年の2月以降だと言われた。
それまでは準備が整っていないゆえ、決して行ってはいけない・・・とまで言われた。
この準備が整っていない・・・ことには、わたしたちが統合に向かう経験をしていなければ、そして今、統合にさらに向かっていくためのエゴの浮上を体験していなければ、その壮大な宇宙の歴史にも関わる霊的理由さえ、全く理解できなかったと思う。

これは単なるわたしたちの問題じゃない。
人類の、そして宇宙の、壮大な過去を通しての問題。
これは決して大げさじゃない。
わたしがこのメールで言っていること、わたしたちに起きている些細に思えるこの問題は、実は壮大な宇宙の過去からの問題を具現化していることに、気付く人は気づくと思う。

今さらなんでエジプト?・・・とわたしたちは思った。
でも、その答えがわかった。
教訓が必要とされる状態に実はいること、さらにそれを活かせば、さらなる統合が待っているということ。
さらに成熟し、向上するからこそ、宇宙の壮大な問題や統合に至るための数々のプロセスや真の真実を、個人やパートナーレベルで質やレベルの違いはあれど、味わうことになっていくということ。

それらすべてが、dozenにも、Peaceにも反映される。

一番大切な根本は、わたしたちがしっかり愛しあっているかどうか、愛をもってはぐくんでいるかどうか、真実の愛の波動が成熟に向かっているかどうか。
これが、ライトワークにも、Peaceにも、役割にも丸ごと反映し影響するってこと。
スピリチュアルセックスにもね。

わたしたちは互いに愛をもって互いに謝る必要があるんじゃないかな。
互いに本当に感謝し、怒りが込み上げたなら、それは相手への怒りじゃなく自分への怒りだと、再認識する必要があるんじゃないだろうか。
その怒りの根本をすり替え、相手にぶつける失礼さ(つまりは自己愛の欠如)を、わたしたちはよくよくわきまえておく必要があるんじゃないかな。

そうすれば、わたしたちの間で相手に怒りをぶつけて、分離を促進させるようなことはなくなっていくんじゃないかな。
わたしたちの間こそ、霊的なものの視点、愛ある視点で相手にかかわり合うことを学ばなきゃいけないんじゃないだろうか?

そこには愛がなく、怒りやエゴをぶつけることで対応しあっているスピリチュアルな人たちから、霊的愛、真実の愛を学べるだろうか?
そうわたしは感じた。

怒りや批判など、エゴは自分が問題であることをわきまえれば、相手に対してそれらをぶつける必要が、本当は何もないことに気付けるはず。
それらエゴは自分に対することだから、相手に怒りをぶつける必要はない。
自分の内の具現化の物事が起きただけであって、それは物事であって相手自身が根本ではない。
根本は自分の内、自分であって、自分の内に改善をもたらし、相手とは単に愛をもって話し合うだけでことは済む。
愛をもって話しあうことは、さらに自分に対して愛で対応する具現化でもある。

自分に必要で起こった出来事・物事であって、そうなるにはそうなるだけの霊的理由も霊的流れもある。
そこで怒りがわくのはエゴでしかないし、宇宙の霊的流れにゆだねられていない自分がいることを知るだけだと思う。

これが習得できるようになり上手になると、人との摩擦(自分自身との摩擦も含)が皆無に向かっていく

人(自分)との関係のストレスも。

内に原因・答えがあることがわかっているから、内を癒すことにフォーカスできるし、人のせいにもせずに済む



今回の出来事の原因はわたしの内にある



龍にとってもわたしにとっても、互いの内でやっていることを目で見える形で具現化し、味わった
(ここ地球は特にそういう場所だしね。)

物事や出来事の流れには霊的に何かがあるという霊的視野が、物事が勃発したときに欠如してしまうことがある。
だから話し合い、次の改善のための気持ちや意志さえ伝え合う「時」=愛を育む「時」、機会すら、自ら壊してしまう。
相手のハートさえ閉ざすよう仕向けてしまう。
相手のハートさえ閉ざすなら、自分のハートも閉ざしている

怒りをぶつけなくても、改善したいことを逆に笑顔で話し合っても、改善に向かえるものだと思う。

こんな怒りの表現は世界の日常で日常茶飯事だし、わたしたちの関係にもある。
こういうことを野放しにして、エゴに加担するのはやめていこう。

わたしたちは、愛を学んでいこう。
頭で理解したなら、日常で実践して身につけていこう
^−^

まさにすべては自分。
すべての出来事・物事・人自身もすべては自分自身。
ワンネスで連鎖し構成され、すべては自分そのもの


きっと根源(神)は当たり前に、これらをエネルギーとして感じ味わっているんだろうね。
霊的広大な視野、真の真実からは、これらエゴも愛へ向かう、真実の愛を産み出す役割を担っている。
だからと言って、エゴに加担したり助長されるに任せたり、放置するのは愛じゃない。

わたし自身いろいろわかって、自分自身と、龍と、もっと愛を育みたいと思った。
2人で同じように愛にフォーカスしていきたい。

このメールで言っていることは、もちろんわたし自身のこと。
起きていることを霊的視点と愛で対応していきたいと思っている^^

龍、ごめんね。
このメールに書いた霊的法則や真実をしっかり受け止めて、何回も自分に修正をかけながら愛を育んでいくから^^





その後、龍から返事が届き、アドバイスがあり、
「俺もだけど、蓮自身、自分のことは見れてない。」と、注意を促がされた。
そしてまた翌日、直接2人で今回の件を話し合い、互いに相手に感じている心の内さえオープンに出し合った。
その最中にはまだ批判し合う姿勢や、自分が正しい、目には目をの姿勢が垣間見れた。
実際、そんなすぐに180度変化するのは、計り知れない成熟がいるし、これらはたまたまわたしたちを通して露出されたエゴに過ぎないのであって、誰でもが内に、内奥に抱えている。

結局このメールの内容にあるように、すべては自分自身であることを2人で再認識した。
そして真の成熟が、どれだけ計り知れない霊的質であるか、真実の愛であるかも再認識し、2人で、
「まだまだdozenは、ケツが青いね^^;」
と、笑いあった。


龍が言った。
互いの存在が奇跡であることを忘れないようにしよう。」
これは、わたしたちの6ヶ条のひとつだ。

龍から、
「俺も分離を望んでいるんじゃない。それは蓮と一緒だ。もう一度、スタート地点に戻ったつもりでやり直そう。愛している!!」
と、メールが届き、わたしも愛していることを伝えた。

そしてこのやり取りが、実はちょうど1年前の1月17日、龍がわたしに告白し、付き合い始めた記念すべき日に交わすことになった愛だった。
そして、新たに愛をもって、さらに深い真実の愛を育んでいく2年目が始まった。





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posted by dozen at 14:17| 10 Lotus Life | 更新情報をチェックする
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