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2006年02月08日

dozenはすでにTantraだった

2月3日 dozenはすでにTantraだった

タントラを知るようにとのメッセージを受け取った龍から実際、情報を知るまで、何がタントラかもわたしは全く知らず、自分たちがすでにタントラにあったことすら気付くこともなかった。

以前、日記に書いたように、タントラを知ったとき、これってわたしたちの日常そのものだぁ・・・と感じたのは決して大げさではなかった。
もちろん、タントラすべてを体現できているという意味ではなく、できていたらここにいないわけで(笑)
だけどdozenがタントラを生きているのは間違いなかった。

タントラは、スピリチュアルそのものが日常であり実践だという。
わたしたちdozenそのものだ。

タントラでは、哲学は思考のスピリチュアルと呼ばれ、タントラは実践のスピリチュアルと呼ばれている。
思考 と 実践。
頭で堪能するスピリチュアルと、実際の体験で堪能するスピリチュアル。
こうはっきりと違いが示されていた。



タントラの真実を他にも抜粋すると、

観念でもなく哲学でもなく、タントラでは教義や教条は意味をなさない。
タントラの関心の対象は、方法や技法であって、原理や主義ではまったくない。
タントラの言葉の意味は「技法・方法」「道」。
だからタントラは、哲学なものではない。
 
ここが肝心だそうだ。
知的な問題や探究は、関心の対象外であり、タントラにとって重要なのはなぜwhyではなく、どのようにhow。
「真理とはなにか」ではなく、「どのように真理に到達するか」。

タントラとは技法を意味し、体系は科学的だそうだ。
科学にとって重要なのは「なぜ」ではなく、「どのように」。
これこそ哲学と科学の根本的な違いだそうで、哲学の場合「この存在はなぜ」と問うが、科学は「この存在はどのように」と問うそうだ。

あなたが「どのように」と問うときには、方法や技法が重要になり、理論は意味を失い、体験が中心となる。



そう・・・、体験。
体験するには、実際に実践していないと至らない、とわたしたちdozenははっきり言える。

続いてこうある。

哲学を理解するのは容易。
知性さえあればそれでこと足りる。
言葉さえ理解できれば、概念さえ理解できれば、哲学は理解できる。
あなたが変わる必要もないし、変容は求められない。
今のままのあなたでも、哲学は理解できる。

だがタントラは違う。
まず変化・・・というより突然変異が必要だ。
あなたが変わらないかぎり、タントラは理解できない。
なぜならタントラは、知的な命題ではなく体験だからだ。
体験に対して受容的で、オープンで、無防備でないかぎり、タントラはあなたにやってこない。

哲学は思考に関わっている。
頭があれば充分だ。
全身全霊で臨む必要はない。
 
だがタントラは、全身全霊で臨まないといけない。
それはより深い挑戦だ。

どこまでも全面的にその中に入る必要がある。
タントラは部分的・断片的なものではない。
それを受け取るには、別種の態度、別種の姿勢、別種の考え方が必要になる。



このタントラは、実践する人と、思考に留まる人の明白な違いの事実を、明確に語っているにしか過ぎない。
実践の質と思考の質、その真実の重みは明白に違う。

実践は、それだけのいろんなことを実際に味わってきている。
痛さも恐怖も、涙も、そして愛も光も。
いつまで思考で満足するのかは自由意志であり、自己選択。



さらにタントラはこう語る。
 
どんな質問でも、哲学的に論じることができる。
どんな質問にも2通りの取り組み方がある。
哲学的に取り組むか全人的(トータル)に取り組むか、観念的に取り組むか実存的に取り組むか。
 
たとえば「愛とはなにか」という質問に対して、あなたは知的に取り組むこともできるし、論議したり、理論を組み立てることもできる。
特定の仮説を論ずることもできる。
体系や学説を創り出すこともできる。
それにもかかわらず、あなたは愛についてなにも知らないかもしれない、とタントラは述べている。



これは多くのライトワーカーや霊的学校の講師たちにも及んでいる。
>体系や学説を創り出すこともできる。
>それにもかかわらず、
実際の愛の実践・実践から得る学びや真実(自己探求・創造)についてはどうなのだろう。



続いてこうあった。

哲学的になったり、理論的になったり、教条的になったりするのはたやすい。
問題に知識を使って取り組むのはいたってやさしい。
問題に実存的に取り組むこと・・・ただ考えるだけでなく、それを生き、それを通り抜け、それによって自分自身を変えることは難しい。

愛を知るために必要なのは、愛することだ。



まったくその通りだと思う。
実際に、愛すること。

スピリチュアルに携わる人で、全身全霊、人を愛するということに取り組んでいる人は実際どれぐらいいるのだろう。
他者を愛するのと、一番身近なパートナー・伴侶を愛するのとでは全く質が違う。
わたしは一番身近な人に、本当に向き合えている人ほど本当に自分に向き合い、愛を実践しているんだなと感じる。
恋愛に臆病な人が、またそういう関係を育めない人が、本当に自分に向き合っていると言えるのだろうか。
スピリチュアル(愛)を実践していると、本当に言えるだろうか。

人を「身近な関係において」(あえてこう言うのは身近な人ほど本当に愛するのには実は深い挑戦が要されるからだ)、自分のように密接に本当に愛することを実践する。
この、とても深い取り組みを実践することで、さらに身近から遠くの存在へとある他者にも、真に愛する関係が真に深まっていく。
パートナーがいるのもいないのも誰のせいでもない。
すべては自分だ。

パートナーがいず、またはいても、愛の実際的な取り組みをしていない人は、わたしには真に自分に向き合っている人には観えない。
自分に対し恐れを抱き、自己信頼、自己愛の欠如に感じる。
エゴと愛は自然に顔を出すものだから、パートナーがいない時期があってもおかしくない。
けれど、人と実際、愛を育もうと進んでいる取り組んでいる途上でそうなのか、そうでないのかでは大きな違いだし、パートナーがいても愛に取り組み愛を学ぼうとしていなければ、同じことだ。

確かに愛というものはこの関係を限定して指しているのでもなんでもないし、愛はいろんな分野でいろんな関係で育める。
けれど、一番学びが大きいのは実はこの関係であり、自己の男性性女性性の統合に密接に大きな学びをもたらしてくれる。
わたしは恋愛を推奨するし、どんどん真剣に何回でも霊的質をもって、取り組んでほしいと感じている。

恋愛に臆病な人が、またそういう関係を育めない人が、本当に自分に向き合っていると言えるだろうか。



タントラの真実はまだ続く。
 
タントラは、質問には答えない。
その代わりに技法を教える。
その技法を通り抜ければ、きっとその答えはわかるだろう。
実行すればわかる。

タントラでは、「行なうことが知ること」であり、それ以外に「知ること」はない。

あなたがなにかをしないかぎり、変化しないかぎり、違った見方を持たないかぎり、知性とはまったく異なった次元に入り込まないかぎり、答えはない。
仮に答えが与えられたとしても、それはみな虚偽だ。
 
一切の哲学は虚偽だ。
あなたが質問すれば、哲学は答える。
あなたはそれに満足するかもしれないし、満足しないかもしれない。
満足であればあなたはその哲学を信奉する。
不満足であれば、他に信奉すべき哲学を探し回る。
だがあなたは、依然としてもとのままだ。
あなたは手つかずのままであり、あなたは変わっていない。

哲学に関わる論理はいつも観念的だ。
概念と原理が重要で、論議が重要だ。
論議は、「正しい」「間違っている」というように、論理の言葉は自己中心的だ。
関心は相手にはなく、自分のエゴにある。
そして自分のエゴはつねに「正しい」。

タントラの言語は、ハートだ。
語られることはあまり重要ではなく、それよりもその語り方が問題であって、言葉は重要ではない。
その器、つまり中身、つまり伝えたいことのほうが重要だ。
これがハートとハートの対話であって、マインドとマインドの論議ではない。
タントラは、討論ではなく、交感(コミュニオン)だ。

タントラは、あなた自身が閉じていたら、まずあなたの閉じている状態を壊す必要にでる。
そのため、攻撃的にならざるをえない。
さらにあなたの偏見、あなたの先入観、そういったものも破壊しなくてはいけない。



これは実際、わたし自身も、またライトワークの特に探求サポートで、dozenはこの真実を幾度も体験してきた。
さらにタントラは言う。

深く愛しているときには、マインドは存在しない。
そこに過去はない。
今の瞬間こそがすべて。
現在が唯一の時間。
今がすべて。
過去も未来もない。
 


タントラを知っていく中で熱く語られているメッセージは、実践だった。
タントラはそれをこう表現している。

「行なうことが知ること」であり、それ以外に「知ること」はない・・・と。

実践し、体験から得た真実こそ真実だという。
それ以外は、思考の頭の中だけの真実であって、実際にはその人の真実ではない、虚偽だと表現されていた。
実践の真実・霊性と、思考の真実・霊性との
質、真実味、価値、深さ、霊的状態、真実の愛など、なにもかも実はまるで違うもの。
そうタントラは語っている。





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posted by dozen at 00:59| 10 Lotus Life | 更新情報をチェックする
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