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2006年02月14日

ゆだねるという深さの中にある自己責任

ここ2週間の大きなわたしの自己探求のテーマは、ゆだねるという深さ。
まだしばし、続くようす。

0204:2006
Space Flower
Art : dozen/Ren
Free sozai↓
29.jpg


龍にこれら日記を書いているワード?(じゃないなこれ、メモ張とある)をコピーして持っていってもらうとき、このあいだの1日のわたしの日記内容を読んだ龍と、ゆだねる、の話しになった。


龍もずっと考えていたらしい。
蓮がネットを使えない状態にいるのはなぜか。
ネットが使えないとなれば、dozenやPeace活動にそのまま直接、影響が出る。
直接関わるのは、大いに自分(龍)になる。
蓮に起きていることを通し、自分に起きているこの状況は?・・・そう考えていたそうだ。

そこで改めて知ったのは、蓮への依存、甘え。
そして、自分自身の自己責任を取る、成長・・・だったそうだ。
今こそ、成長しなさい、成長するにふさわしい時がきた、・・・とはっきり言われていることを自覚し、それには蓮がこうなる状況が最もふさわしい・・・そうストレートに感じたそうだ。

そしてわたしのほうは・・・、「ゆだねる」を学ぶに最もふさわしかった。
ゆだねるには、自己と他者への信頼が問われる。
そう・・・、自分を信頼すること。
自分の内の男性性女性性、その互いの信頼にも及ぶ。
ということは、自己統合にも関わる。
それらは当然、他者への信頼に具現化される。
そして信頼には、任すということや、自己責任を超えない・・・ということも含まれる。

自己責任を超えるとは簡単に例えたら、子供に対する親の過保護みたいなもの。
過保護は成長にふさわしくないし、子供の成長しようとする大事な芽や欲求を摘み取ることにもなりかねない。
さらに、エゴ的な楽なほうの選択や助長の癖をつけてしまいかねないし、本人の自己責任を取るという学びすら取り上げてしまいかねない。

わたし自身は、自己責任を超えてしまう・・・ということで、自分を大切に扱う・・・ということも損なう。
ということは相手も自己責任を取るという学びを損い、と同時に自分を大切に扱うという学びも損なうことになる。

自分の荷は、自分で負い、自分で対処することで成熟へと向かえる。
自分の主は、自分、ということを学ぶ。
つまり、すべては自分である、ということを学ぶ。

自己責任を超えてしまう、ということは、人が上記の自己責任を取ることを学び損なえさせてしまうだけでなく、依存や甘えを助長・強化させてしまう。

自己責任というものは、超えてしまうことも、自分の責任を引き受けないという対のことも、結局お互い、自分を大切に扱うことを損なってしまう。

自分の荷は、当事者でしか学び取ることができない。
自分で学ぶことで、より大きな収穫・進化が得られる。

霊的成熟、霊的自己自立、真実の愛に至るには、自己責任の真の意味を自分のものにする必要があると、わたしは感じている。
自分の幸せや自己進化は、自分の責任。
自分で自分を幸せにする、自分を愛する責任。

自己責任の学びには、同時に愛もエゴも大いに学ぶことが必然的に起こってくる。
それはエゴの状態で自己責任を取ろうとするのと、愛の状態で自己責任を取ろうとするのとでは、一見どちらの状態も自己責任を取っているようで、実は水面下で起きている雲泥の差が、その後に顕著に現れてくるからだ。

エゴの状態で自己責任を取っていると、それはあくまで取った「つもり」、取った「気分」でしかなく、実質には真に自己責任は取っていないので、本当の自己責任を取る経験がないということに実は等しくなる。
つまり、自己責任の体験も経験もないか浅い質のものと言える。

だからこそ、その後も恐怖・自信のなさ、間違ってはならない、正しくあらねばならない、エゴへの気付きが鈍い、甘さや執着の解放の困難、本当の自分を直視することの困難、つまりは自己受容の難しさが顕著に現れる。
それはなぜか・・・。

ずっと責任回避で実は生きていたからだ。
そう、実は、自分に対し責任を取らずに生きてきたために。

自己責任をざっくばらんに言えば、「自分で自分のケツを拭く」とよく使われる言い方だ。
拭いたつもり、気分でいれば、自分のおケツはどうなっていくだろう。
そのうち、かゆみ、かぶれ、痛み、ただれを起こす。
そうなるにつれ苦痛が大きくなるから、ますますちゃんと拭かなくなるだろう。
排便もどんどん苦痛が伴ってゆく。(排便=エゴ不要物を手放す・解放。)

自分のおしりは、鏡にでも写さないかぎり簡単には自分で見れない場所だ。

これらが霊的・精神的状態に顕著に現れていく。

そのまま放置するなら、座ることさえできなくなるだろう。
排便も苦痛が伴うことで自然に我慢するようになるかもしれない。
身体にそれを貯めるようになれば、腸がおかされるかもしれない。
他の身体の機能も損なっていく。
ならば食事さえ、固形物をさけるかもしれない。
流動食に変えるかもしれない。
食事は、具現化で言えば霊的滋養物。
霊的取入れさえ、低下していくことになる。
流動食になれば、歯も弱る。
しっかりした固形物(=霊的滋養物)を噛めなくなり、消化機能も低下。
霊的滋養の吸収・消化の力さえ、弱まる。

いかに苦痛を避けようかと、どんどん工夫がなされ知恵や知識が向上し、避けることにもたくみになっていく。
悪循環はどんどん加速していく。

自己責任を取る学びは、だからこそとても大切。

そして対の自己責任を超えてしまうことも、どこまでが自己責任なのかを学ぶ必要があり、超えてしまうことで人にもたらす対の自己責任を取ることに対する影響を学んでいく必要がある。

自己責任を取る、ということは、まずは自分にフォーカスすることから始まる。
しかし対の自己責任を超えてしまわない、というものは、他者へのフォーカスも含まれる。
もちろん自分のフォーカスも同時にするわけで、他者をどこまで自分のように大切に扱えるか(すべては自分という意味。他者も自分)、どう対応することが真の愛というものかが大いに問われる。
そして同時に、自分への真の愛が問われる。

結局どちらも自己愛が不足しているから愛にフォーカスし、内に在る愛の質を深める。

責任を担うことも、担いすぎることも愛の質を深める作業が必要なわけで、どちらもそれは自分の内の愛を指摘されているということ。

ゆえに、ゆだねるという質の深さも深くなればなるほど、自己信頼の質も深く向かっていく必要性が必然不可欠に起こる。

ネットがストップのそのわけは・・・。
ゆだねる(自己責任、自己信頼)の深さを進化さすということが促がされていた。





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posted by dozen at 23:21| 10 Lotus Life | 更新情報をチェックする
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