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2006年03月03日

創造の欠如

愛に変換したことで2人の目に見えない距離が縮まり出した。
けれどわたし自身は龍にも直接言ったように、何かまだスッキリしない。
普段ならこういう龍とのディスカッション後、本当にスッキリしたならスッキリするのに。

0207:2006
vol.2
Lack of creation
photo : dozen/Ren
Free sozai↓
89b.jpg


何かまだ、目に見えない領域にありそうだ。
それはもちろん、わたしの内のこと。


龍と話をして、もう話も終わったそのあとに、ハッキリ気付いた自分の感情を見つけた。

それは怒り・憤り。
自分事はさておき、わたしはハッキリ龍に対して怒っていた。
今回のことがどうのこうのと言うより、龍と出会って今に至るまでの経過があって今わたしは怒りどころか、憤りを感じていた。

この憤りの感情を、わたしは随分長いこと認めずにいた自分を、このときハッキリと知った。
長いあいだ認めたくなかった…自分がいた、ことを知った。

ハッキリと自分が怒っていることを、憤りさえ抱いていることを、ついにわたしは認めることにした。
降伏!

するとどうだろう!
ちゃんと認めたことで、実はわたしは龍に怒っているのではないことにハッキリ気付いた。

そう・・・、わたしは龍でなくても怒っている!

怒っているというより、猛烈に憤りを感じている。
龍以外にこんな憤りを感じたのは誰?

過去の恋人?元旦那?
確かにそのときも怒っている。

親?友達?知り合い?
そう、これもまた確かに怒っている。

じゃあわたしは、関係性も男女の違いもまったく関係なく怒っているじゃないか!
いったいなんなんだ・・・。

じゃあわたしはどんな事柄に対し怒っているというんだろう?

それを突き詰めていったときに分かったのが、「信頼と誠実の欠如」だった。
相手が誰であろうが。

これに至るには、理不尽さとか、傲慢さとか、人のせい「わたしは傷つけられたあなたのせいよ」など(自己責任の欠如)、利己的とか、嫉妬、視野の狭さ、都合よさなど、とにかくその本人の自分勝手なことでしかない醜さが挙げられた。

それら「信頼と誠実の欠如」に関したものごとに、わたしは猛烈の憤りを感じる。
怒りではなく、明らかに憤りだ。

信頼と誠実の欠如は何に繋がっているのか。
それはすべて…、自己受容、自己責任。
このどっちもが、自分が神であり創造自身であることに直結する。

自己受容、自己責任ができていないことをわたしに反映させ、わたしのせいにし、わたしにぶつけ、それさえも気づかないおこがましさに、わたしは猛烈な憤りを感じていた。

わたしは相手が、自分自身が神であり創造であることを欠如する事柄に触れるときに、猛烈な憤りを感じることがわかった。

つまり相手が、自分で自分を傷つけていることに気づいていないこと、しかもそれらを人のせいにしていることに。
人のせいにして人を傷つけていることすら気づいていない。
それもイコール結局は、人のせいにかこつけて他者(=自分)を傷つけている。

わたしは、自己責任を取らず人のせいにされることが大嫌いだ。
決して心地いいものではない。
健康な精神の人で、それが心地いい…なんて人はいないだろう。
誰だって心地悪い。

これらがまたわたしの内にもある現実に、改めてはっきりと気づいた。

自己受容、自己責任に欠けている間は、誰でも自分の中に心地悪さを感じていて、しかもそれは自分が創り出していることにも気づいていない間は、人のせい(自分は悪くない正しい)にし、さらに他者(=結局は自分)を傷つけ、もっと心地悪さを自分の中に創り出す。
しかも無自覚で平気でそれをする。

わたしも人も、いつになったらこういうことを終わらせるんだろう。
いつになったらハッキリと目醒めるんだろう。

人と自分を比較し、嫉妬し競争し、自分を傷つけ、自分で自分を傷つけていることに気づかず、それを人のせいにし、それを相手に言い放ち、さらに人を傷つける。

自分を大切にすることに欠け、自分を愛することに欠け、その愛不足を人に求め、また、自分が愛不足になっていることを人のせい、人が原因だとしている。
自分のせいじゃなく、人のせいなのだ。
これほどの自己責任、自己受容の欠如はない。

「あなたのせいで傷ついたのよ」と人のせいにし言い放ち(負のエネルギー=エゴをぶつけ)、「はぁ〜感じていることを正直に素直に言えてよかったわ、ありがとう。学びってあるものよね。スピリチュアルよね。」なんて…、どこまでおこがましいのだろう。
傲慢さにもほどがある!

言えた、感じていることを、素直に。
ある意味、正直、素直かもしれない。

人のせいにし傷つけている…そんなことは、おかまいなしだ。
それは真の意味で素直とは言わない。
素直、正直にかこつけて、自分のエゴを吐き出しぶつけ、人がどう心に影響を受けるかかえりみることもせず、一時的に自分がすっきりしているだけだ。

さらに、そこには潜在的な悪意がある。
顕在意識で自覚があろうとなかろうと、そんなつもりはみじんもないと言おうと、その背後に隠れているものは、人を明らかに傷つけてやる…というものだ。
自分の感情がままならないことを、そうやって緩和させようとしている。

物の言い方で一瞬、正直さや素直さが表向きにはあるようにみえるが、実はその裏には悪意さえ満ちているという、強烈な巧みさだ。
人はどうでもいい、とにかく自分がすっきりしたいという。
強烈なエゴだ。
巧みさにもほどがある!


自分が自分に創りだしておきながら、その自覚も受容もないまま、しかもそれが素直だと感じている。
人のせいの上に素直はない。
人のせいにせず、自分ごとで言えたとき、自分が創り出し人のせいじゃなかったと認め言えたときこそ、それを真に「素直」と言う。

自分で自分を傷つけておきながら、自分が心地よくないからってそれさえ人のせいにし、また傷つける。
自分で直接、自分を傷つけるだけでなく、人をも巻き込み結局、他者(=自分)を傷つける。


こういう扱いをされることを人に許してはいけない。
人に傷つけられることを許してはいけない。
自分が自分をこういう扱いをすることも許してはいけない。
自分に傷つけられることを許してはいけない。
どちらも霊的に同じ。
悪循環の受容ではなく、愛の受容を許す。




ディスカッション後、ヨガストレッチをし、そのまま龍とタントラ瞑想に入った。

今回、初めてこの瞑想に完璧に入れた。
このタントラ瞑想は、各個人が各自に取り組むものではなく、2人が2人で同時に取り組むものなので、2人の息が揃わないとダメなのだ。
何度も何度もチャレンジしてきて、初めて成功した。

その瞑想でわたしが持ち帰ったものは、
「飛行機のチケット」の映像で、そのチケットに関する事柄は「男性性女性性」「怖れ」だった。
そしてこれらはエジプトについてのことだった。
映像を観ているときは、その意味なども細かく伝えられていたのに他にも情報はあったのに、持ち帰れたのはこれだけ。

なぜ今成功し、なぜ今観たのか。

その理由もすべて、今日の流れ、気付き、答え、自分の内、龍とわたしなどに繋がっている。



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posted by dozen at 12:23| 10 Lotus Life | 更新情報をチェックする
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