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2006年03月03日

スピリチュアルセックスは変容・統合・創造のエッセンス

わたしたちのスピリチュアルセックスを裏付けるエッセンスが、タントラでも述べられていた。

0209:2006
Vol.2
Spiritual sex is essence of transformation / unification / creation.
photo : dozen/Ren
Free sozai↓
113b.ren.jpg


それらは裏付けるだけでなく、わたしにとって自分たちに起きている事柄の意味や理解を深めることにもなっていっている。

以前の日記にも書いたように、龍が言ったとおりだ。
「なぜそうするのかの理論的意味もわからず俺たちは取り組んで、そして実際にその結果を味わってきただろう? でもそこで、ちゃんとなぜそうなったかとか、プロセスの意味をもっと知ったら? もっと深く理解が深まるんじゃない?」
と言った龍の言葉を思い出した。

これってまさにタントラが言う、「なぜ?」と「どのように?」だ。
私たちは体験が先で、実践し体験し、体験から真実を触れ、その真実がさらなる体験・真実へと促がしてゆくのを体験してきている。
つまり、なぜ?ではなく、常にどのように?。

わたしたちがタントラを知るのは、真実の愛をさらに深めるため・・・とガイダンスが降りたのも納得がいった。
ようやくガイダンスの真意をわたしは見い出しつつある。

タントラセックスの情報がわたしたちのスピリチュアルセックスの裏づけになるということは、わたしたちはタントラセックスをしてきたことにもなる。
そして裏づけは何もタントラだけではない。
ラムサやプレアデスのセックスの情報もそうだ。
結局、霊的なセックスをどう呼ぼうが、その内容の真実には一貫性があり、それを逆にわたしたちが裏付けることができるという真実。

ただ、すべてを裏付けるにはまだまだ程遠い。
かなり程遠い。
これでもか!というぐらいその霊性さは深い。

今まで数々の実践をし、実践を通し真実を体験してきていても、それでも真のスピリチュアルセックスに、ほんの1歩、いやほんとにちょっと触れた程度に過ぎないことを痛感している。

スピリチュアルセックスは、変容をもたらす。
このことは、体験の真実と確信をもって言える。
通常のセックスでは、変容は起こらない。
マインドの感化を受けていない状態であったと想定して、せめて天然の鎮静剤となるのが精一杯だ。

セックスの本来の意図は、変容と創造と自己統合に至らせる道でもあり、真の源への帰還へと促がすエッセンスなのだ。
真のセックスには、溢れるほどの神秘が隠されている。



今日、知ったのはタントラセックスの3要素。

@
無時間。
セックスは時間を完全に超越する。
時間を完全に忘れてしまう。
時間は停止する。
時間が停止するのではなく、自分にとって停止する。
過去はなく、未来もない。
まさにこの瞬間、今ここに全存在が凝集する。

この瞬間が、現存する唯一の瞬間となる。
セックスなしに、この瞬間を現存する唯一の瞬間にすることができれば、もはやセックスに用はない。
そしてそれは、いかなる方法において立ち上がるかと言えば、瞑想においてである。
瞑想を通して起こる。

ここでいう瞑想はセックスを必要とする霊的段階を超えた上での事柄、瞑想を指しているのであり、またセックスを通過するプロセス上での事柄でもある。

A
セックスの中で、人は初めてエゴを失う。
無我になる。
だから非常にエゴの強い人は、必ず必ずセックスに反対する。(避ける。逃避も含)
セックスではエゴを失わなければならないからだ。
自分は存在しない。
相手も存在しない。
自分と恋人(あるいは伴侶)は、2人とも何かほかのものに消失してしまう。
新たな現実が出現する。
新しい個体が出現し、その中に以前の2人は消失する。
完全に消える。
エゴはそれを恐れる。
自分はもうそこにいない。

セックスなしに、自分が存在しない瞬間に至ることができれば、セックスに用はないことになる。
それが真の禁欲、性超越の境界の実現だ。

B
セックスの中で人は初めて自然になる。
虚構が姿を消す。
見せかけ、体面が消失する社会、文化、文明が消えうせる。
自分は自然の一部。
より大きなもの、宇宙、道(タオ)の中にいる。
そこで漂っている。
そこでは泳ぐことさえできない。
自分は消えていない。
川の流れに逆らうことなく、ただ自然の流れに身をまかせて浮遊しているだけだ。

以上の3つが人に歓喜を与える。
セックスは単に、これらが自然に起こるための状況にすぎない。
1度それを知り、その要素を感じ取ることができれば、セックスから離れて、それを創造することができる。

すべての瞑想は、本質的にセックスなしの性体験にほかならない。
だがまず、セックスを通過しなければならない。
(以上、タントラを参照。)


これらをわたしは体験と共に、ゆっくり理解し始めている。
特に、「だがまずセックスを通過しなければならない・・・」という霊的真意について。



さらにタントラには、わたしたちの体験しているスピリチュアルセックスの霊性・質についてわかりやすい説明がされていた。
以下も抜粋。



女の身体は不完全であり、男の身体も同様だ。
2つが一緒になって完全な身体になる。

その場合、合一は2通りの方法で可能だ。
外側の男(例えば龍)が外側の女(例えばわたし)と結びつく時は、1つの融合体が作られる。
生殖の営み、自然の営みは、この融合体によって行なわれる。

もし、男または女が内側に向かい、(自分の)内なる女または男と合一するなら、また異なった旅が始まる。
それは神聖なるものへと向かう旅だ。

一方、外側の合一は本性へと向かう旅だ。

男の物質体(第1身体)が女性的エーテル体(第2身体)に出合うと、この2つもまた融合体を作る。
これは素晴らしい合一だ。

外側の合一は、束の間のものにすぎない。
ほんの短い間、幸福の時をもたらすが、別離の悲しみは限りなく広がっていく。
そしてこの悲しみが、同じ歓びへのさらなる切望を引き起こす。
しかしこの歓びもまた束の間だ。
外側の楽しみは、束の間のものでしかありえない。

しかし内なる合一は永遠に続き、一旦起こってしまえば、2度と壊れることはない。

内なる合一が起こらぬ限り、悲しみと苦痛はある。

内なる合一が起こると、たちまち幸福の電流が内側に流れ始める。

この歓びは、愛の営みの最中に起こる外側での合一(持続時間があまりに短いので、ほとんど始まる前に終わってしまうような合一)の時に、一瞬体験されるものと似ている。
大抵の場合、それは体験されない。
あまりの瞬時に起こるため、まったく体験されないのだ。

内なる交わりが可能になると、外的な交わりへの本能は、たちまち消え去る。
これは内なる合一に、完全な満足感と充足感があるためだ。

内なる交わりは、瞑想の一過程だ。
このため、内側と外側の交わりの概念の間に対立が生じた。
一旦、内なる交わりに入っていった者は、外側の交わりへの興味をなくしてしまうというのは、当然のこと。



女が自分の男性的なエーテル体(第2身体)と合一すると、その融合体は女となり、男が自分の女性的なエーテル体(第2身体)と合一すると、その融合体は男になる。
これは物質体(第1身体)がエーテル体(第2身体)を吸収する、エーテル体が物質体に溶けていくためだ。

しかしそれらはもはや、まったく違った意味での男と女だ。
わたしたちが目にする、外側の男と女は不完全で満ち足りていない。

地球上の生命の発達を調べれば、原始的な有機体の中には、両性が備わっているのが分かる。
例えばアメーバは、半分オスで半分メスだ。
世界にこれほど満足している生物はいない。
だからアメーバには、欲求不満など起こらない。
発達しなかったのは、そのせいだ。

女の物質体(第1身体)がエーテル体(第2身体)の男と合一すると、新しい女が生まれる。
彼女は、私たちの知っている不完全な女と違って、完全な女だ。

この融合体が完成されると、瞬時にして究極の充足感が広がる。
もはやこの完全な男や女にとって、外側の関係性を築くのは難しい。
外側には半端な男や女しかいないからだ。

しかし完全な男と女は、関係を結べる。
完全な男女が、このように出合う時、彼らは初めて至福、歓び、2つの全存在の合一を経験する。

半分の男が半分の女と合一を楽しみ、次に自分の内なる半分の女と合一し、限りない至福を体験する。
成長のためには、次に自分の内なる完全な女の達成を目指すべきだ。


男の第3身体は再び男で、第4は女だ。
女の第3身体は女で、第4は男だ。

タントラは、最初の完全なる体が達成されても、男の成長が止まらないようにと気を配ってきた。
非射精法も、そのひとつだ。

完全な男女の交わりは、まったく違った質を持っている。
それはエネルギーの損失がない交わりだ。
まったく新しいことが起こるが、表面的にはわからない。

不完全な男女が出合うと、両者ともエネルギー量を失う。

完全な男女の場合は逆で、交わりの後のエネルギー量は、その前よりも多くなる。
相手に近づくとエネルギーは目覚めて、活性化する。


第2段階の試みは、もはや第3と第4の結びつきに向かい始める。

男の第3身体は再び男で、第4は女だ。
女の第3は再び女で、第4は男だ。

第3と第4の合一において、男の内側には男だけが残り、男の第3は傑出する。

女の内側には女だけが傑出して残る。
すると2人の完全な女が、1つに溶け合う。
2つに隔てるには、男の身体が必要だ。

第1と第2の女が、第3と第4の女に出合う時、まさに瞬時に1つに溶け合う。
すると女は、完全な女らしさを2重に達成する。
男の場合も同じだ。

4つの身体が合体した時、男に残るのは男であり、女は女である。

第5身体から先は、男も女もない。

第4身体を成就した両性は、依然として男は攻撃的、女は明け渡している。
しかし、女の明け渡しは、まったく完全なもので、男はさらに、第5の次元の旅へと連れてゆく。



こうして龍とわたしは、4次元さらに5次元へと向かっている。
もちろん、向かうにはスピリチュアルセックスが、すべてだとは言わない。



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posted by dozen at 13:57| 11 Lotus Life | 更新情報をチェックする
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