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2006年04月05日

エミリーローズに溢れる愛

以前からアンジェリカ(娘)にせがまれていた『エミリーローズ』を観に行った。
ホラー映画なのと、その映画が娘にとっては、コースがあまり薦めませんと言っていた。
これは娘にフォーカスしたアドバイス。
その理由は、今の彼女に必要なのは愛であり、彼女にとって愛がわかりやすいもの、とアドバイスされたため。

俺はあまり気が進まなかったのだが娘たっての希望だったので、観に行くことになった。

悪魔祓いに失敗し・・・という映画の紹介、
これを観る意味は?
と考えながらも内心は若干の恐怖でドキドキしていた。

映画が始まった。
エミリーを殺したのが神父なのかどうか、裁判を通して映画が進む。
弁護するのは、出世しか頭にない女弁護士。

裁判は医療的な検知からエミリーの精神状態を裏付ける展開、
何か複雑な病名がいくつも出てくる。

神父はエミリーにその病気のために服用している薬を止めさせた。
それが直接的な死因に結びついたと神父の責任を追及していく。

それに対し弁護側は、悪魔祓いの事実を証言していく。
悪魔が憑いたり、霊的な現象を科学的に解明している人物やエミリーの悪魔祓いに立ち会った人々を召喚して。
しかし、そこに召喚されるはずだった医師は悪魔により、マインドを操られ交通事故で亡くなったため
弁護側の勝利が手の中からスルリと抜け落ちたように見えた。

終始弁護側が不利な状態、しかし神父にはあまりの関係ない話しだったように感じた。

なぜなら、彼はエミリーの思いの真実、天界(映画では霊界と表現されている)が存在する真実を世間に伝えたいだけであった。
真実を証言をしたかっただけなのだ。
エミリーを思う愛、そして神への愛がそこに存在していた。

エミリーは、悪魔祓いに一度失敗したあと、もう一度悪魔祓いをしてほしいという思いはなかった。
神父は彼女の意思を尊重し、悪魔祓いを行わなかった。

彼女は、悪魔祓いが失敗に終わったあとに、聖母マリアに会った。
そのときに彼女は自分の運命を知った。

彼女の体の中には、6体の悪魔が存在していた。
その事実を世間に知らせることで、霊界の存在を知らせるという運命を彼女は持っていたのだ。
聖母マリアは、その時に彼女に選択を与えた。
このまま悪魔を体の中に存在させ生きていくのか、それとも今このまま私(聖母マリア)と一緒に天界へいくのか。

彼女はひるむことなく肉体を持って生きることを選択した。
そして、自分の運命をまっとうしようと。

神父がエミリーに代わりこの証言をした。
そして裁判が結審を迎えた。

神父は有罪、陪審員たちには伝わらなかったようだ。
上告期限を裁判長が述べると、弁護側は即座に上告しないことを裁判長に伝えた。
そしてこれは、神父が裁判が始まる前から持っていた意思ということを伝えると陪審員から提案が。

「裁判の量刑は今日で終了としませんか?」
裁判長は
「賛成です」

そして裁判は終了した。


ホラー映画として観るには惜しい作品。
ほんとに愛が溢れている。

エミリーの意思は、裁判を通じ世間に霊界の存在を知ってもらうことにあった。(そのために使われたのがたまたま悪魔だった。)
これが天界から降りてきたエミリーの意思。
その意志を伝えるために戦った神父の愛。
その愛にふれた人々(陪審員たち、女弁護士など)の変化。

そして、その裁判の記録をこの女弁護士が映画にも登場している霊的な現象を科学的に研究している人物へ渡すことによりこの映画が創られた。
たった一人の少女が自分の役割をコミットした瞬間から時間を掛けて全世界に伝えられるようになった。

肉体的な苦痛より、自分の意志を貫く。
本当にすごい愛、天界、根源への愛、感動しかなかった。

悪魔は心の隙を狙っている。それは悪魔と表現されているが、エゴや欲望も同じこと。
この心の隙に知らない間に何かを呼び込む。
それは自分自身でしかない。

見た目、表立ったことにばかり目を向け、本当の真実に気付かない。
これほど愚かなことはない。

ナルニア国物語でもあったが、白い魔女が呪文を見間違えた。
正確には、欲望が邪魔をし本当の意味を捉えられずに呪文をかけた。
だから、ライオンの王が復活できた。

この映画も、悪魔祓いに失敗した・・・ということだけで観てしまえば単なる興味本位。
しかしそこに起こった彼女たちの内面を読み取ることで本当の真実が見える。

そして映画の中で女弁護士が言っていた言葉を思い出した。
「事実とは、疑いが全くないことを言う。」(確かこんなニュアンスだった)

そお、真実とは疑いがない状態。
もしあなたが何かを真実として捉えようとしているときに何か疑いを感じれば、その真実は真実の可能性があるということ。
疑いがある限り真実にはなり得ない。

それが例え高次の存在に対してとしても・・・



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posted by dozen at 17:09| 04 Dragon Life | 更新情報をチェックする
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