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2006年05月17日

肉体をもって生きるということ

わたしは、アゴウスからカーへの融合前に起きた出来事が忘れられない。
龍にしきりに言っていた言葉。
「ありがとう。ありがとう、龍。愛しています。ありがとう。」

0514:2006
Living with the body.
photo : dozen/Ren
Free sozai↓
163b.ren.jpg


まるでもう逢えない別れの寸前に発したかのようなものだった。
この声、この言葉、この想いは、まったく純粋な何の汚れもない、まったく神聖な純粋な蓮としてのわたしの内なる声としか思えない。
わたしはこの時に味わったものを一生、忘れない。
そしてまた初めてのアセンションで味わったことも一生、忘れない。

初めてのアセンション。
セスがアクセスしてき、いきなり「アセンションします!」と言われて味わったあのときのこと

わたしにとって、このどちらのことも、かなりのショックだった。
そして、深く深く考えさせられた。

肉体をもって存在している、そのことじたいを。



わたしは過去に幽体離脱を体験した。
そして今、高次のアクセス中は『自分を表現すること』ができず、でもわたしは同時に存在していることを体験している。

幽体離脱も高次のアクセス中も、肉体を通して自分を表現することがないという、わたしは意識だけで存在しているという状態。
ゆえに肉体をもって人と直接、「わたし」として交流することができないことが、どういうことかを知っている。

ただ今回のショックと大きく違うのは、確実に「わたし」がいる。
わたしはわたしを感じ続けているし、わたしは自分が存在していることを実感している。
(幽体離脱の時は別として)またいつもの自分に戻れることが確実に解っているということだ。
この点が、大きな安堵であり違いだ。

ただ、わたしは存在しているのに、肉体を持った人にはわたしが分からない。
わたしはここにいるのに、肉体を持った人にはわたしは存在していない(特に幽体離脱のとき)…ことを味わう。

今回のショックと合わせてわたしが最も感じるのは、事故や犯罪で早急に肉体を失った人たちのことだ。

これほど悲しいことはない。
つまりこの悲しみは、まだまだココに執着があるということ。
ここでの関係に未練がたっぷりあるということ。
でなければ、悲しいなんて感じない。

初めてのアセンションも、つい昨日の体験も、わたしは未練たっぷりだということを味わった。
いくらスピリチュアルを知っても、肉体を離れたあとどうなるかの情報を知っていてもいざ、その現実がさしせまったとき、しかも唐突に訪れたとき!奇麗ごとなんてわたしにはなかった。

実際わたしは今ここに肉体をもって存在し、この日記を書いているわけで。
しかしそのわたしが味わった未知の状況(昨日を含め)の最中には、まったく先がわからないわけで。
まるで臨死体験じゃないけど、死というプロセスの擬似体験をリアルに味わったかのように深刻な気分だ。

臨死体験のようにその先さえも味わわず、ただただ、死という瞬間、死が唐突に自分に訪れた場合…の瞬間を2度も味わった気分だ。(正確には3度。スピリチュアルセックスで根源との統合の際。)

何の前ぶれもなく、何の心の準備もなく、突然、唐突に!肉体を失う瞬間。
肉体をもって自分が存在しなくなる瞬間「のみ」を味わった気分。
最悪だ。かなり!!最悪だ。

パニック…なんて言葉では、とてもじゃないが表現が足りない!
恐怖でも足りない。
もう表現しようがない。

あまりにも!ひどすぎる!!

わたしの場合、特にこれらにプラス違う点は『「わたしという意識、実感を失う恐れ!!

わたしがアセンションを通し味わった大きなショックは、
・唐突に肉体を失う
・「わたし」を失う
このふたつだ。



霊的成熟がかなり豊かな状態では、死のプロセスを通過することや、肉体をまだ引き続き持ち存在していくかどうか、自分の意志で決定、選択ができる状態にいる。

それに比べ、今のわたしたちの状態はどうだろう!
いかにこのような霊的成熟から離れているかを、つくづくわたしは実感した。
いかに愛ある状態から離れている状態の次元にいるかを、わたしは痛感した。

さらに唐突に死を迎えたスピリットのその瞬間の、もう言葉ではまったく表現できない感情、葛藤、苦しみ、悲しみ、切なさ…、もうどう表現したらいいか分からないこれらの想い。

なんてむごいんだろう。
それしか言いようがない。
突然、愛する者との別れが訪れる。
唐突に肉体を失う恐怖。
もう、わけがわからない状態。
しかもなんともならない、取り戻せない状態。
そんな状態にすでに自分がいる、いてしまう状態。

こんな状態をわざわざ味わう次元。
輪廻。

もういい加減にしてくれ!!という憤りさえ、わたしは感じている。
もう、こんなことやめようよ!!と、もうこれほどの悲しみを生きる創造の世界を可能にするなんてやめようよ!!…と、本当にわたしは感じている。
あまりに痛すぎる!!
あまりに、ひどすぎる!!

でもこの状況は、実際、今、存在している。
なぜ???
みんなで同意し創造したからだ。
なんでこんなことを創造しているの?
いつまで創り続けるの?

わたしは自分がスピリットであることをほんの少しづつだが実感し始めている。
宇宙で生きた実感も、そこには入っている。
そしてまた同時にここ地球も味わっている。
大いなる霊的視野と、この肉体をもつリアルさを同時に味わう

大いなる霊的視野からの視点…すべては無限なる愛の内にすべては「すでに」存在している事実と、その中でのここ地球にいる視点の事実と。
両方を味わい出している。
たとえそれがほんのわずかなことであっても、わたしはすでにマルデックで味わった霊的憤りと同じ要素のものを、わたしは今ココ地球でも味わっている。

霊的愛が成熟していないこの地球の状態。
それを創造しているわたしたち。
いったい、どこまで自分たちを苦しめる気だろう。
もうどれだけ地球ごと繰り返しているだろう。
飽くことのないエゴ。

もういい加減にしたい。

エゴが在るから愛が深まる。
大いなる霊的意味、大いなる霊的視野、それも分かる。
でもわたしは綺麗ごとは嫌いだ。
エゴが始まったからその法則が発生している事実があるということ、それによってバランスが生まれたこと、この事実、真実をわたしは忘れない。

いつまでその法則に甘んじるのだろう。
いつまでそんなバランスを保つ気なのだろう。
その法則、そのバランスがなかったときも在ったじゃないか。

エゴを深める必要なんてない。
エゴを深めることを通して愛を深める必要なんてない。
ストレートに愛を深めていけばいいじゃないか。
愛を深めていくばかりのバランスの欠けた状態でもいいじゃないか。
エゴと愛のバランスを壊してもいいじゃないか。

わたしは、これら真実はある領域、ある次元までは実際の真実として生きていると感じている。
しかしその真実が活きる領域・次元を超えた真実が、実際に真実として活き、在る、とも感じている。
つまり、愛を深めるばかりの領域・次元が実際に存在していることを感じている。



わたしはまた肉体を持って生きるという大切さ、「今」を生きる大切さ、をつくづく実感した。
肉体を通し生きることには、どれほどの深い意味があるかを。
肉体をもって愛ある霊的成熟に移行することが、どれほど意味が深いかを。



でもわたしはこうも感じている。
そういう生き方を自分次第で終わらせることができるとも。
そしてそういう生きかた、そういう真実の法則がない領域・次元で生きることができるということも。

わたしたちが今、知っている真実や、本から得られる真実や情報「以外に」、実は多くの真実がすでに在り、普遍である真実!!…とわたしたちが成熟していくたびに触れる変わらぬ真実を超える真実、そして法則が、実は存在している気がしてならない。

今、ここ、地球、太陽系銀河だからこそ共通する惑星全部の真実・法則が在る。
でも実は、その領域や次元を超えた違うパラレルワールドでの真実・法則が在る気がしてならない。

幼きものには幼きものが理解できる真実。
成熟したものには成熟したものが理解できる真実。
太陽系銀河や根源体系や、各パラレルワールドにはその状態、その現場で生きるものが理解できる真実。



……ふとここまで書いて、わたしはあることに気づいた。
+(愛)−(エゴ)=無限愛、でバランスをとっているこのバランスを壊し、プラスばかりの深まりしかない世界が在ったならどうだろう。

プラス1、プラス2、プラス3と深まっていき成熟していったとき、プラス5からすればプラス2は成熟レベルは下がる。
それじゃプラスマイナスと同じか?
同じじゃない。
確かにプラス5から見ればプラス2は成熟が甘いし、プラス5からすればプラス2はマイナスにも置き換えられそうだが違う。

プラスばかりで成熟を深めていく領域と、プラスマイナスのバランスで成熟を深めていく領域では、明らかに質そのものが違いすぎる。

プラスマイナスのバランス領域では、表裏一体が存在する。
プラスばかりの領域には表裏一体がない。
となると、プラスばかりの領域の対、マイナスばかりの領域も在るかもしれない。
そこにも表裏一体がない。

表裏一体が在る領域と、ない領域では当然、真実が違うだろう。
普遍なる真実が。
そしてまた、プラスばかりの領域と、マイナスばかりの領域でも、真実が違うだろう。

わたしが今いる地球、そしてコーネリアンが生きた宇宙が、プラスマイナスの領域であることは間違いない。

この壮大な宇宙(地球を含)ごとすべて、とは違う宇宙の領域が在る。
わたしはそう感じている。
その宇宙では、わたしたちがいる宇宙とは違う真実、普遍なる真実が在るとわたしは感じている。

肉体を持たないレベルも、この宇宙に属しているものもいれば、そうじゃない違う宇宙に属しているものもいると思う。



今日の日記はわたしにとって、ある側面から見たもので違う側面からはまた違う視野を持っているし感じている。
このまま考察していけば神聖幾何学の世界にまたはまりそうなのでやめた。笑

ここ最近わたしに起こることは、
●霊的大いなる視野 と 地球視野
●霊的大いなる宇宙 と 地球・今 
それぞれ、その両方を同時に生きる こと。



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posted by dozen at 18:33| 14 Lotus Life | 更新情報をチェックする
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