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2006年06月12日

真の成熟・真の進化

あるときのアクセスで、どの高次だったかに龍はこう聞いた。
「そっちからしたら食べることってどう見えるのぉ?」
すると、
「わたしたちから見れば、食べることはドラッグみたいなものですね。」と。
とっても笑顔で屈託ない笑いのもと、そう言った。

0612:2006
True maturity, true evolution.
photo : dozen/Ren
Free sozai↓
240b.ren.jpg


龍と2人、その言いっぷりに驚いた!
なんてストレートでユニークな表現なんだろうと。
的を突いている。
物理的世界、輪廻世界をすっごい高次から見れば、そうなるだろう。
ひょっとして輪廻もドラッグだと言うかもしれない。笑
言い方がユニークだ。

*このドラッグの意味は、はまってしまって真実が見えなくなってしまっている、中毒かのような状態、薬(例えば麻薬など)、を示唆し高次が言わんとしている真実を見出してもらえるとありがたい。
さらにこの高次の言葉は、人はプラーナで生きられる真実を裏付けている。
この高次は10次元以上の存在。
その次元に存在するものからの、それが真実。



食べ物、特に肉食に関しては今も昔も、必ず精神世界では話題の注目になるひとつだ。
Peace仲間でそこに注目を挙げているのが、どうやらガウスのよう
そう言えば、ガウスとはまた違うかもしれないがトリンちゃんも肉は食べないそうで、あるときは
「外食で肉に関係ないものを口にするのは大変なのよねぇ。」
と、こぼしていた。

で、龍とわたしはといえば、肉を口にする。
量は一般からすれば非常に少ないかもしれないが、口にするのは事実だ。

だが、だからと言って「じゃあ、それは悪いことだから人としての成長なんてあり得ないでしょ。」ということでも…なさそうだ。
現に成熟途上で必ず訪れる「アセンション過程」にわたしたちは露骨に突入している。

わたしたちだけではない。
この3次元からいずれ地球は4次元に安定する。
それに一緒に生きていく者も、つまりは今アセンション過程にいる。
この中にはまだまだ肉食の人もいる。

なぜに?この事実をどう説明する?肉を口にするのに?

どうやら問われるのは「内的成熟の全体性」かもしれない。

例えば肉を口にしない…が、全成熟の一部だとしたら他にも成熟が問われるたくさんのことがあるということ。

そして肉を口にするしないの問題というのは、内的成熟の現れ…つまり「具現のいちひとつ」となる。
しかも見えるのは、その行為しか外からは見えない。

大事なのは、その行為に「抑制」のかけらも全くない…という点だ。
これは外から見える食べない行為だけでは、その真意は分からない
万が一、抑制…というものが微々たるものでも存在していたら、そこには必ず「葛藤」というものも存在している。
したいのにしない、食べたいのに食べない、欲求を持っているのに持っていない「ふり」、…葛藤だ。

つまり、肉を食べない行為の背後に、葛藤というエゴが存在し、一見、食べないという成熟に達しているかのように目には映る行為が、実はエゴを内在している行為であった…と、いうことが真実になる。
まるでついこの間、日記にした「真のやさしさの真実と同じだ。

しかも外と内では、まるでエネルギーが違う。
例えば外のエネルギーが1だとすると、内のエネルギーは10にも100にも1000にもなる。
外1=イコール内1、ではないのだ。
内にあるものは、マイナスエネルギーであろうとプラスエネルギーであろうと、莫大な存在として実は在る。
その一部が、外に具現されているだけである。

今ここにいるわたしたちは根源や宇宙を反映し具現している。
それは内で在って、見える外がすべてを具現しているわけではない。
外は広大さを知る入り口であるエッセンス。その具現だ。そのものではない。
そのものではないが、霊的にはそれら広大さ深遠さがそのエッセンスから知ることができるよう凝縮されている。
つまりエッセンス(具現)には、すべてが在る…とも言える。ワンネスだ。

エゴがあるならまず認め、受け入れ許す。
自分に全く正直であるなら、その状態を素直に反映した具現となる。
ゆえに、肉を口にする行為は、その者にとっては全く純粋な現われとなる。

この者と、肉を口にせずその背後にエゴを内在してその行為に至っている者とでは、どちらが成熟に至っているのだろう。
同じようなものではないだろうか。
それとも、内的にエゴを隠しもっている場合と、隠していない場合とでは、成熟さはどうであろう?
それでも、同じぐらいのものなのだろうか?

そしてその成熟さは、全体の「一部」だ。
他の成熟さは、さてどうだろう?
…ということは、たった一部の事柄で、その全体の成熟さは決してはかれるものではないんじゃないだろうか?

行為的にも内的にも、エゴが全くないなら本当に素晴らしいし、本当に成熟していると思う。
それが、一部であってもその一部については本当に成熟している。
それがやがて他の部分部分も、そして全体に行き渡っていくことは本当にすごいと、わたしは思う。



ところで、地球では過去も今も肉食は止まない。
昔、菜食主義者が肉を口にすることに対し、反対運動をしたりということもあったらしいが、どういった活動をしても結果、今を見れば答えがわかる。
肉食は止んでいない。

そしてここでわたしはハッキリ言うが、菜食主義を推奨する気もさらさらない!
この記事ではたまたま一貫性を持たすため「肉」を表現しているが、「菜食」という点で見てもらいたい過去日記もある。
それがこれ⇒外なる内なるのエネルギーの違いを知った上での探求
この過去日記を読んだ上で、今日の日記も読んでもらえると嬉しい。

どちらの日記も、霊的成熟と関係があるからだ。
この肉の問題は、他の問題にもいくらでも置き換えられる
例えば戦争だ。

各自がどこまでその理由の質を持っているかは知らないが、「戦争はダメ」「いけない」ということは、たいがいの人は分かっていると思う。
戦争反対!という活動も、過去からたくさんある。
それでも地球には、紛争がある。

その紛争は、身近で言えば人間関係で起こる人と人の紛争にも置き換えられる。
夫婦でも、恋人でも、親子でも、友人同士でも、宗教間でも、職場でも、いまだにそこらじゅうに在る。

事の違い、問題の大きさや質の違いはあれど、すべて共通している同じ法則の土壌だ。エゴの法則。

戦争はダメ!紛争はダメ!人との関係もそう!
…と、言ったところで
「はい!そうですね。やめます!今から!」とはならない。
肉についても、「はい!そうですね。やめます!今から!」とはならない。
もしなれるなら、この地球は創造を絶するパラダイスに今すぐなる!間違いない!
でも、なぜかならない。なぜか?

その事に「携わる人自身の」成熟に関わるからだ。



人それぞれどれだけ成熟しているかなんて分からない。
肉についての部分だけ成熟していれば、残りのすべてOK!完全に成熟してるよ!ということにもならない。

成熟さというものは、決して部分だけでははかれない…とういうのが、わたしにとっての真実である。
ある部分が成熟しているから、この人全体も成熟しているとは決してならないし、逆に、ある部分が成熟していないからといって、他の部分までも成熟していない…とも決して言えない、のもわたしにとっての真実。

さらには、行為だけでは、内的成熟さもわからない。
そして行為以上に、内的状態のエネルギーは莫大…これも真実。



わたしが、そして各自ができることは、人を部分で判断したりはかったりしないことだと思う。
ある部分、自分にできるからといって、他の人はできていない、だからダメ…ということではない。
自分にもできない部分があるだろう。

さらに拡大すれば、それは今の生だけで「見ている」。
その背後の広大な転生やスピリットの生も、各自は有しているのだ。
今の生だけで見るのは、全体の部分だけしか見ていないことになる。

一番大事なことは、各自その人その人、みんな自分自身で成熟というもの、真実というもの、に「気づいて」いかなければならい…ということだ。
自分で!

そして気づき、それが実際の成熟に向かえば向かうほど改善されていき、成熟の質が深まっていく。

そのエッセンスになれるのが、気づいて実践している人たちだ。肉にフォーカスするならガウスも、トリンちゃんも実践者だ。
それがたとえ部分の成熟であっても、その部分については大いなるエッセンスになれる。素晴らしいことだ。
そしてそのエッセンスとは、成熟さをあるがまま見せる、ただ自分で在ることだけだと思う。

例えば肉なら、肉を口にしない…ことが(内に葛藤のエゴが全く内在していないとして)すでに真実を語っているし、真実に加担している。
こういう人が増えれば増えるほど、物理的には肉の需要は減る。
生産性の必要が減り、動物を食にするためだけの繁殖や殺すことも減っていく。

ただ、こういうことには(実際こういうことだけではないが)お金儲けが絡んでくる。
いかに売上を上げようか、そのための策はどうこうじるか。
弱さがあれば、そこをみてとり策はこうじられていく。
…となると、揺るぎない成熟に各自が満たされている必要がある。
常に問題は、何かしら連鎖しあっている。

肉の育成側、販売側、卸など、政治経済として政治も関わるかもしれないが、とにかく世界の肉に関わる人たちの経済的観念や、違う経済の取得に変更しようじゃないか…という成熟さの姿勢も問われていく。

ゆえに反対運動もひとつのエッセンスかもしれないが、一番早くて物を言うのは、真実に生きることだ。

そこで大事なのは、成熟さだ。
なぜ食さないかの成熟さ。そしてその成熟さの質だ。
この「成熟さ」というものを支援し、援助してあげることが真のやさしさではないだろうか。

ただただ反対!と、責め訴えることより(愛の、内的の)成熟に何かしら力になってあげ、エゴから愛の変換へ移行できるようエッセンスとして存在するほうが大きいのではないだろうか。

無理やりでは続かない。
言われたから…でも続かない。
販売側、国側には生きる生活の糧にまで、事は及ぶ。
すべては、自発的に…だ。それが永続の鍵だと思う。

かつてレムリアやアトランティスでは、今以上に人間は成熟していた。
なのになぜ今…の成熟さに至っているか。
肉を食べない成熟さだけで、わたしたちは本当に全体性の成熟さに至れるのだろうか?

成熟というものの、真の質が問われる。
部分だけの質ではないことも分かる。

それぞれ各自の成熟さは、あらゆる種類の成熟さ、ひとつひとつに反映する度合いも違う。
たったひとつが、すべてを物語っているわけでもなく、ひとつが、すべてそのものでもない。
Aというひとつは10の成熟かもしれないが、Bというひとつは2の成熟かもしれない。
そのひとつひとつさえ違う土壌の上に全体が在る。しかもその全体は無限だ。

ひとつ、部分、とはエッセンスだ。すべてに繋がるエッセンスとなる。
過程のひとつが、全体性のある事柄を分かることができ、垣間見せてくれる。エッセンス。
それが他のひとつにもまたたくさんにも繋げてくれ、全体性へと繋がっていく。



本当のエッセンスというものを知っている人は、押し付けたり無理に分からせようとはしない。
自分がどう在ることが気づきのエッセンスに成り得るかを知っている
それが本当に成熟・質の深さに進化しつづけている愛ある高次たちの姿勢だろう。

そして高次たちは、大きな霊的視点でものを観ている。
外から見える物事の真の解決策は、内に在るのだ。




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posted by dozen at 10:13| 15 Lotus Life | 更新情報をチェックする
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