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2006年07月13日

自己探求は宝物探し

爆破音
この↑記事のつづき
コースが「ゆっくりゆっくり」と言っていたのを思い出してふと感じた。
人は自分の思い通りにならないとき、焦り、苛立つもんだなと。笑

0707:2005
0707:2006
A self-search is search for treasure.
photo : dozen/Ren
Free sozai↓
273b.ren.jpg


そして、どうして?なんで?…と、やたら答えに急ぐもんだなと。笑
急ぐから頭でなんとか納得したり理解しようと始める。
それで自分を安心させようとするのだ。
さらにそれでも治まらなくなると、それら恐怖を例えば怒りにし、周りに当たり散らす。大笑!
自分の思い通りじゃないからだ。
サンドバックよろしく当たられた人は、いい迷惑だろう。笑

人は誰でもゆだねるレッスン、霊的流れに自分を預けるレッスンが下手だな。
自分の思い通りにならないと、思い通りにしたくてコントロールしようとし始める。

すると、自分の思い通りからさらに離れていく。
自分の望み、自分の思い、自分の欲求から、自分で自分をどんどん引き離していく

これってなんだか、まるで小さな子供みたい。
子供ってよくこんな風にやっている。
自分の思い通りにならないとき、友達や親に言いたい放題、わがままや怒りをぶつけたりすねたりしている。
小さいのに口は達者で、相手をへこまそうと相手が傷つくことを言ったり。
あるいは自分の殻に引きこもったり。
言葉はいっさい喋らず、態度や姿勢でぶつけたり。

例えば愛ある親ならそれごと包んでくれようとしてくれる。
「本当はどうしてそんな風になっちゃったの?話してごらん?」って、わがままぶりにも愛もって聞こうとしてくれるし、起きている子供自身の現状を親はやさしく説明してくれる。
その愛ある姿勢があるから子供は、親と一緒に我を振り返る作業をする。
そして学ぶ。

でも違う反応をしている親もいる。
「いい加減にしなさい!!」と子供にマジに怒っている親も見かける、頭をなぐったり。
精神的に幼い子供に、大人である自分が対等に立って怒っている
自分の目線から幼い子供に目線を降ろしてやることなく、上から見下ろして怒鳴っている。
親自身も未熟だし、その一瞬、親も未熟になっちゃうのかもしれない。

愛ある親なら包みこもうとしてくれるし、小さな子供でまだ未熟だからと見守ってくれるけど、子供のようなことを大きな成長した大人がやっている
もう幼い子供じゃないから周りは友達や大人だらけで、大人になっても子供のようにわがままやかんしゃくみたいなことを起こしていると、どんどん自分の周りから人が離れていく
相手が自分の思い通りじゃないからとか、気に入らないからと、人をどんどん疎外していく大人たちもいる。(自己防衛の壁創り。怖いからだ。)

周りは自分の親じゃない
なのに知らずに親かのようにどこかで錯覚し、愛ある親のように接してくれても当然じゃないの?…という態度にすでにいる人もいる。
依存してみるが、相手が愛ある親のようじゃないと、怒りをぶつけ、または泣いたり、自分を傷つける姿を相手に投げ打って、思い通りにしようとコントロールする。

こういう子供もよく見かける。
素直に自分から愛を求めるんじゃなくて、コントロールして相手から自分に愛を向けるようにコントロールする。
コントロールにあの手この手を使うけど、上手くいかないと切れる。
怒りの切れが、人間を切ることまでに及ぶ。(関係を切る。精神的肉体的暴力。など。)



身体は大人になっても、精神的に未熟なまま。
そういう大人が子育てしている場合もある。
そしてわたしたちの多くは、そういう大人たちに育てられてきている
その親も、またその親もそうなのかもしれない

すると精神的に未熟なままの部分を持っている大人たちがたくさんいてもおかしくない。
だから自分を知り、もう大人になった自分で自分を今度は愛してあげる作業が必然になってくる
幼い自分の部分の声を聞き、未熟さから成熟へと愛をもって対応してあげる。
これらをインナーチャイルドの癒しと呼ぶ。
関連記事⇒インナーチャイルド:1〜多次元に渡る〜

その内容の課題となったものは、実は生まれる前からの持ち越しの課題が多い
ゆえに、根源への帰還やアセンションへ向けての根っこの課題でもあり、ここ地球に生まれ、生まれる以前のすべての記憶を無くしたわたしたちにとってはその課題を思い出すよう、生まれる環境や親を選ぶ
またこの課題は、役割にも転じる。

インチャの癒しは実は単なる癒しではない
多次元への自分へ帰還する大切な大切な癒しでもあるのだ。
だから大人になっても好き勝手わがままインチャを、いつまでも地でやっていると、この帰還(無限なる愛への帰還)から遠ざかっていく
当然、スピリットの意志や意図からも遠ざかっていく。

だから自己探求と言うのは、多次元的宇宙的に、この存在、創造すべてを包含している。
ゆえに自己探求は非常に深く深遠で、豊かさの宝がぎっしり詰まっている宝石箱に探求しに入るも同じなのだ。



実際に自分が子育てすることで、自分の子供を通してそれらを学ぶことにもなる。
例えば子供に絵本を読んであげる行為が、実は同時に自分のインチャを癒す行為にも繋がっている。
実際の子供が自分のインチャの具現と言われるのは、こういう法則があるからだ。

そしてそのプロセスを通し、つまり自分を知ることを通し他者理解、他者受容が始まっていく。
それが自己探求のひとつでもある。



自己探求から離れる者、自己探求していると言いながら変化がない者、自己探求していると言いながらインチャぶりをいつまでも変わらず撒き散らしている者は、この話を知ると、いったい自分はどういう状態にいて、自分にも人にもどんな態度を実は示しているかがよく分かると思う。

気づいたなら…、
自己探求から離れている者は自己探求に戻り、また自己探求していると公言しているだけの状態に留まっている者は、実際に現実に取り組む動きを取る
これが真の愛であり、本当のスピリチュアルだとわたしは実感している。

ただ単にスピな情報を観たり読んだり、それらに感化されて言葉を発している(本人の現実・日常・人間関係の実際の変化は伴っていない)のは本来の自己探求ではない。
本当の自己探求とは、実際にこの日常で取り組み続け、実際に変化していっている現実を起こしていることを指すと、わたしは実感している。



今までずっと探求してきて、わたしは初めてある驚いた姿勢を観た。
それは法則を逆手に取る態度に出る探求者がいること。
すべては必然、すべては大いなる視野で完璧ならば、自分がエゴるのもその必然の内なんだからいいじゃない!だからわたしはエゴる!(意図的に)…というもの。
まるで自由意志の誤用と同じだ!と感じた。

この自由意志の誤用の↑下線リンク日記と、以下のルナ君が言っている内容の本質も同じだとわたしは感じている。
10歳(今は16歳かな?)の頃のルナ君が書いた内容。



何をしてもOKと私はよく言います。
なぜだかわかりますか?
それは、自分の中に不調和が起きたなら、きちんと問題が起きるから大丈夫と言っているのです。

これを勘違いする人たちがいます

例えば、人と約束をしていたとしますよね。
そのとき、遅れたとします。
その出来事自体は完璧であるのですが、遅れた人がそれでも大丈夫と思うことは勝手なのですが、相手にもそれを納得させようとするのは無理があります。

自分のことだけで済ませておけばいいのに、どうしても人は相手を動かそうとしてしまう傾向にあります。

もし、相手の人が怒ったとします、遅れてくるのはけしからんと。
でも、あなたはそれが完璧だと知っているので、謝らず、横柄な態度をとったとします。
その相手の人は、それであなたと縁を切ったとします。

もしあなたにとって、そういったことをわかってくれない人であるなら、その人とは付き合えないと思っているのなら、それはそれでいいと思います。

そうやって次から次と友達をなくしていくのはあなたの勝手だし、あなたは気にせず好きに生きられるのですから、どうぞご自由にとしか言いようがありません。

まったくもって問題は起きていません。
ですが、もしあなたがその状態を続けていたとしたら、あなたが何かなそうとするとき、誰もあなたの周りにはお友達がいなくなることは請け合いです。

何と完璧でしょう!

ここに何が欠けていたと思いますか?

もし本当の意味で調和をとり、心地良く過ごすことができるための、完璧な図をこしらえるためには。

私はここに必要なのは、相手に対する思いやりだと思うのです。
私は道徳的なことを言うつもりはありません。
遅れてきたからあなたが悪いと言うつもりも全くありません。

ですがこのとき、相手の人が寒かった所で待っていたなら、そのことを思いやる余裕を、
忙しい時間を割いて来たのなら、そのことを思いやる余裕があれば完璧だと思うのです。

自分が遅れたことも完璧ではあるのですが、そして相手の人が待つということも完璧なのですが、心の触れあいをなくした状態は、私には心地いい状態には思いません。

すべてを自分のせいにして謝りすぎるのも違うとは思うのですが、相手への気遣いをなくしたら、やっぱり心地いい状態とは私には思えません。

「心地いい」という状態を、「好き勝手と勘違いすると、自分が何をしたかに気づかずに、人々が去っていく経験をすることでしょう。
それであなたが気づけばそれでいいのですが、大抵の人は自分が何をしたかもわからず、自分だけが不幸だと勘違いしてしまうものです。





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posted by dozen at 15:25| 16 Lotus Life | 更新情報をチェックする
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