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1007:2006
Freedom to be provided by freeing deep attachment.
photo : dozen/Ren
Free sozai↓

夢を観た。
マインドによる自分自身への、エゴが支配しようとするそれからの解放について。
それは執着を徹底的に手放すことだった。
人(どんな関係であっても)も、どんな物質に対しても。
いかに人間は、執着というものからエゴを生み出し、そのエゴに自由を奪われているか・・・、それを夢でリアルに体験した。
その執着というものを手放していけばいくほど、自分がどれだけ今までその執着というエゴの支配下で生きていたかをまざまざと知った。
手放していけばいくほど、わたしはどんどん自由になり、思考からも感情から生まれるものにも、どんどん振り回されることはなくなっていった。
手放していけばいくほど、思考からも感情が生み出すものからも、わたしは自由になっていった。
執着というものが、どれほどの醜い感情を生み出し、自分を縛り支配しているかを人間はよくよく自覚しなければならない。
いかに自分で自分から、真の自由を奪っているかを。
その自由はわたしの身体を軽くし、明晰さと自分が自分を感じる光を、透明でとても爽やかで澄んでいるものとして感じていった。
自己である光が、どんどん成熟していくさまを体感として感じていた。
自分が意識することなく呼吸とともに吸うこの空気さえ、非常にクリアなものとして感じていた。
自分が自己の内に、自由を拡大していっていること、その自由が拡がっていく感覚を、わたしはまざまざと感じていっていたのだ。
人(どんな関係であっても)も、どんな物質に対しても、それを自分自身のもの(執着、所有)にしないことが、どれほどの自由を享受することになるかを、わたしは夢で体験した。
そして、執着というものが、どれほど自由を自分から奪っているか、いかに自分は自分の執着の奴隷になっていたかを知った。