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2006年10月09日

カレッジ内のできることから等価値制度

あだっちゃんから自転車が届いてからというもの、龍は毎日が楽しくてしょうがない。
「どっか行こうか?」「どこ走りに行く?」
[1009:2005]
1009:2006
In a college is an equivalence system by can do it.
photo : dozen/Ren
417b.ren.jpg

すぐそこに買い物行くだけなのに、
「よし!行くか!」
と、顔に満面の笑み。
 

「まさか自転車で行くつもりじゃないだろうね。」
すると龍はだまってニンマリ。
「すぐそこだよ〜。ほんのすぐそこじゃない。」
でも龍はだんまりでニンマリ。


416b.ren.jpg



しょうがないからわたしも自転車に乗って付き合う。
すぐそこに。笑


あだっちゃんから自転車を貰うきっかけになったのは、合宿。
関連日記⇒dozen合宿〜自然と繋がるという真の意味〜
京都駅に合宿参加者が東京から到着し、移動のバス待ち中にそれは起こった。

何気ない話をみんなでしていたそこにボソッと龍が
「欲しいよなぁ。マウンテンバイクぅ。」
と、何気に言った。

わたしにもよく「買ってぇ買ってぇ。」としょっちゅう言ってたものだ。
彼の誕生日にも買ってと言われたが、高くてわたしには買えなかった。
関連日記⇒Happy BD Ryu!

そのボソッと言った一言にあだっちゃんが、
「あげましょうか?うちに乗ってないのが1台あるんすよ。最初は嫁さんにと思ってたんすけどね。でも、久美さんは今、違うの乗ってるし。」

この話を龍が逃すはずがない。笑
そして話は成立。

そんなわけでその日から龍は舞い上がり、届いてからというもの毎日お出かけしようとうるさい。
かなり。笑!


418b.ren.jpg
「蓮!見てみて! ちょっとォ!今の見てた!?」

「見てたよぉ。」

419b.ren.jpg
「ちゃんと見たの? ほら!もう1回行くよ! 見た!?」

「だから見た!っっちゅうに!!」

420b.ren.jpg
「とりゃぁ!!どうだ!」

「わ、わかったから^^;」

421b.ren.jpg
「こ〜れは、どだ!! 上がってただろ?後ろ。見たぁ!?」

「う、うん^^;充分見てるから。」

あだっちゃんからの自転車が届いてからというもの、
常にこんなで、常に「見た!?」で、
その後もしょっちゅうこれは続いていくのであった・・・。笑

「ちょっと〜。いい加減もうわたしは帰るからねぇ。」


422b.ren.jpg
「しょうがない。今日はこれぐらいにしといてやるか。笑」

1人、自己満足の笑み。笑

なんて・・・、龍がこんな風に心からはしゃいで喜んでいることが、
実はわたしもすごく嬉しいのだ。
パートナーの歓びはお互いの歓び。
ありがとう、あだっちゃん。心からお礼を言うね^^



わたしはふと思った。
これがプレアデスの等価値制度だよなぁ。
『お金がいらない国』本の世界っていうか。
関連日記⇒共同創造の方向性:2〜等価値制度〜

必要な物を必要な所へ

例えばこのあだっちゃんの自転車だって、お金に変えることだってできる。
だって貰ったこの自転車、いいやつだし。
リサイクルやオークションに出してってこともできたはず。
いろんな可能性があるにもかかわらず、なのにあだっちゃんはくれた。

わたしはいつも思ってたけど、お金というツールがどうしても欲しい理由があるなら話は別だが、これからは、一旦お金に変えてしまうんじゃなくて直接欲しい人に譲る(あげる)形を取ればいいのにって。

できるだけお金というツールを使わない
互いに生産的に自発的に奉仕しあえばいいなって。
物をあげるとき、代わりの物(お金や物々交換)を必ず相手から受け取る形に縛られないで。
ただ、ちょうど互いに欲しい物が、そのタイミングにちょうどあれば話は別だけど、必ずしもそういうわけにはいかない。
ここで言いたいのは、交換を必ずしも条件にしないということ。

でもどうしても人は、あげた相手からの代償を欲しがる。
特に渡す相手から。
でも渡す相手が、必ずしも自分の欲しいもの(必要なもの)を持っているとは限らない。
そうなると、物々交換式では互いが欲しいものを持っていないと、なかなか成立しないことになってしまう。

するとそんなややこしいことより、というか相手から代償も貰えないのにあげるぐらいならリサイクルやオークションに出して、お金に変換する形の方を選び、代わりにお金というものを手に入れる。
どうしても何か物やお金に、あげること=イコール直接変換されることを望む。
与えることに対して見返りを望む。
これは成熟が浅いんだろうと思う。

プレアデスの等価値制度や、お金のいらない国は成熟してるので、とにかく相手から見返りを求めようとしない
関連日記⇒等価交換から等価値制度へ
さらに、それだけ成熟した人ばかりでその世界は構成されているので、それで成り立ってしまう。

その世界に、そこまでの成熟に満たない人が混在すると、その世界は成り立たない
そこまでの成熟に至らない人たちがもつ、『利己的な欲』や『霊的・精神的未熟さ』が、この世界を壊してしまうからだ。

成熟が満たないと、与え合うことができない
与えるならその見返りをすぐに欲しがり、できることならお金というツールで欲しがる。
与えれば必ずいつか、自分に必要なものは巡ってくる・・・、必要な物をただ循環させて、必要な時に必要な物が必要な人にゆくよう、ただ循環すればいいんだ・・・ということにゆだねられない。
ゆだねられないのは、自己信頼や霊的信頼の欠如。
恐れがあるから、ゆだねられない。

それだけじゃない
プレアデスの等価値制度や、お金のいらない国のように自分自身が今すぐそれを行ったところで、今の世界では成り立たないことが、行いたいとハートで願っている人たちのブロックにもなっている
成り立つのは、全員が成熟していることが必要になるからだ

全員が成熟すれば、お金というツール、システムは崩壊する

、この崩壊を拒否る者たちが今の世界には、まだまだたくさん存在している。
お金がたくさんあることが、裕福であり幸せであり、自由だと信じ込んでいる人たちがたくさん存在している。

こういう人たちにとっての真実と、プレアデスの等価値制度やお金のいらない国の真実は、まったく正反対。
お金を支持する者たちと、支持しない、むしろお金システムを崩壊させたいと支持している者たちなわけだから、まったくの正反対だ。
各自の真実が、まっこうから対立している。
互いに幸せや豊かさを望んでいるのにもかかわらず
真実の質の違いというものは、実に大きい

その正反対同士が混在する今の世界では、決して成り立たない

お金を支持する、つまりお金の支配(システム)を支持するその背後には、闇の勢力や低次が関与し、
お金のシステム(支配)の崩壊を支持するその背後には、光の勢力や高次が関与している。

互いに幸せや豊かさを望んでいるのにもかかわらず、真実の質の違いというものは、実に大きい
霊性・精神性というものは、こういうお金にまで具現が起きている。

そして、お金を支持している、お金のシステム支配のこの世界で、崩壊の行動を取ろうにも、取ったら今度はこの世界での生存さえ危ぶまれ、その恐怖が自分の前に立ちはだかる
簡単に抜けられないように。

エゴが強い星、未熟な星には、必ずお金が発生するという共通点があると高次たちは言っていた。
ここから脱しようという成熟が真に自分に訪れたとき、初めて人は真の意味での自己創造・アセンションが始まるとわたしは感じている。

またプレアデスの等価値制度やお金のいらない国の世界で、全部タダなんだから・・・、もう働かなくていいじゃない、好きなだけ自由に使っちゃえばいいじゃない・・・という姿勢で望むと、またこの世界は成り立たない
奉仕は奉仕で還元するという、循環がなければ成り立たない。
これがどういうことかというと以下の通り。(お金のいらない国参照。)



私は、恐る恐る聞いてみた。
「あのう、この国にはお金というものはないんでしょうか」
紳士は不思議そうに聞き返した。
「おかね…ですか。確か、前にもあなたは私にそういう言葉を言われましたね」
紳士は少し間を置いてから私に言った。
「少なくとも私は、お金というものは知りませんし、聞いたこともありません。それは一体、どんな物なのですか」

一応、予想していた答えではあったが、やはりこう、面と向かってはっきり言われると、ショックだった。
私は、ズボンのポケットから財布を取りだし、中に入っていた紙幣数枚と、硬貨をジャラジャラ出して、テーブルの上に並べた。

紳士はそれらを興味深そうに手に取り、暫く眺めていたが、やがて言った。
「この汚れた紙きれと金属の破片が、一体どういう役に立つのですか」
私は返答に困った。
お金の存在しない社会に暮らしている人に、一体なんと説明すればいいのだろう。
とにかく一言では無理だ。
私は思いつくまま話してみることにした。

「私たちの国では、何か仕事をすると、このお金というものがもらえるんです。そして、物にはみな値段というのが付いていて、お店で何かを買ったり、物を食べたりすると必ずその値段分のお金を払うことになっています。あの、買うというのはお金と引き替えに物を受け取ることなんですが、とにかく何をするにしてもお金がいるんです。お金がなければ生きていけないんですよ」
紳士は興味ありげに私の話を聞いていた。私は続けた。

「皆、自分が働いて稼いだお金を使って生活するんですよ。だから、いっぱい仕事をした人はいっぱいお金をもらって豊かな暮らしができるんです。まあ、かなり不公平もありますし、働かないで儲けるずるい人もいますが…。皆、自分が儲けたお金の範囲内で生活するようになっているんですよ。だから、お金はどうしても必要なんです」

ここで紳士が口をはさんだ。
「要するにあなたの国では、お金というものがないと、人々が欲望をコントロールできないというわけですか
私は言葉に詰まった。
確かにその通りかも知れない。
でも私は反論したくなった。

「まあ、そうかも知れませんが、でも、お金を払わなくても何でも手に入るのなら、もう、仕事をしなくてもいいじゃないですか。毎日遊んで暮らせば…」

皆が遊んでばかりいたら、何も手に入らなくなってしまいますよ。物を作る人も、与える人もいなくなるわけですから」

「でも、そういう人もいるのではないですか。働かなくても生活できるのなら、自分一人くらい遊んでいてもいいだろうと思う人が」

この国にはそういう人は居りませんし、この国に、そういう人は住めないようになっております。それにあなたは、そのお金というものと働くということを堅く結びつけて考え過ぎている気がします仕事は社会への奉仕ですから、世のため、人のため、ひいては自分のために、皆で働かなければ世の中は回っていきません。あなたの言うお金がもらえなくてもです。そしてあなたが生活に必要なものはお金など払わなくても、社会から奉仕してもらえばいいのです。事実、この国はそういうシステムになっております」

私は何となく分かったような気もしたが、さらに反論を続けた。
「お金はね、あるとためておくことができるんですよ。働いても使わずに貯金…ちょきんというのはお金をためておくことなんですが、貯金しておけば、後で必要な時にいつでもおろして使えるんです。たくさんためると贅沢ができます。だから楽しいんですよ」

「ぜいたくって何ですか」
「え、ええと…自分が欲しい物は何でも買ったり、美味しいものをたくさん食べたり…」
「この国では、欲しいと思ったものは、すぐにでも手に入れることができますよ」
「ただ欲しいくらいの物を手に入れたって、贅沢とは言えないんです。もう自分には必要ないくらいたくさんの物とか、値段のすっごく高い物とか…」

紳士は、ぷっと吹き出した。
「そんな、自分が必要もないほどの物を手に入れて何が面白いんですか。それに、そんなとりとめもない欲望を追っていたってきりがないでしょう
確かにそうだと思った。
しかし、負けてはいられない。

「でも、貯金しておくと、年とって働けなくなっても安心でしょう」
「この国では、働けない体の人には、みな喜んで何でも差し上げますよ。あなたの国ではそういう人でもお金というものを持っていなければ、何も手に入れられないのですか
私は、自分の国では年金が…などというケチくさい話、とても言い出せなかった。
なんだか自分のいた世界がとっても情けないところのように思えてきた。
だんだん苦しまぎれになるのはわかっていたが、私はまだ抵抗を続けた。

「泥棒はいないんですか、泥棒は。人の物を取っていく奴です。お金は…ないからいいとしても、ほら、あなたの持ち物とか盗んでく奴」
「勿論、そんな人はいませんが、たとえいたとしても私の持ち物など取ってどうしようというのですか。大抵の物はお店で新品が手に入るのですよ。私が手で作ったものを欲しいと言われるのなら、差し上げられるものは差し上げますし…」
私はもう、何と言ったらいいか分からなくて、混乱してしまった。

「だけど、私の仕事だってね、見積りを書いたり、支払いの手続きをしたり、お金に関することがすごく多いんですよ。それに、そうだ。銀行や保険会社はどうなっちゃうんですか。お金がなかったら仕事がなくなっちゃうじゃないですか」
「ちょっと待ってください。よく分からない単語がたくさん出てきましたが、あなたの言いたいことは何となく分かりました。要するに、そのお金というものに関連して生まれる業務、あるいは直接お金を扱う仕事に携わっている人は、お金がなかったとしたら、仕事がなくなってしまうではないかということですね」

私は黙ってうなずいた。
なんだか自分が子供みたいで、ちょっと恥ずかしかった。
「私の想像では、あなたの国は、そのお金というものを動かさなければならないために、ものすごい時間と労力のロスをしている気がします。言い換えれば、不必要なもののために、無駄な仕事を増やしているということです」
「でも、私の国ではお金がなければ社会が回っていかないんですよ」

「それは分かります。でも、あなたの国でもこの紙きれや金属を食べたり、直接何かに使ったりしている人はいないわけでしょう。要するにこのお金というものは、物の価値を皆が共通して認識するための物差しでしかないわけです。ですから、例えば今あなたの国で、このお金が一斉にパッと消えてしまったとしても、皆そのまま仕事を続けていけば世の中は回っていくはずなのですよ。それに、ちょっと想像してみてください。あなたの国の、お金を扱う仕事に携わっている人が、その業務から一切解放された時のことを。そして、お金を動かすために使っていた時間や労力をもっと世の中のためになる仕事に向けたら…いや、勿論お金の存在する社会においては、そういう仕事が大切なのは分かるんですが、もしそうしたら、ずっとずっと社会は豊かになると思いませんか。いいですか。あなたの国では現在、お金に関わっている仕事の人が全員、その仕事をやめてしまったとしても、皆ちゃんと暮らして行けるだけの豊かさは既にあるのです。
関連日記⇒すでにそうで在るということ
そんな、言ってみれば無駄なことに時間や労力を使っていたにも拘らず、あなたの国はやってこられたわけですから。ですから、そういう仕事にかけていた時間や労力を、もっと社会の役に立つ仕事に向ければ、あなたの国の人々の生活はもっと豊かになるはずです」

私は言葉に詰まった。
だんだんそんなような気もしてきた。
もし、お金というものがなくなったら、お金に関するトラブルも一切なくなるわけだ。
脱税だとか、借金苦の自殺だとか、銀行強盗だとか。
世の中の「金のため」という矛盾もすべてなくなる。
もしかしたら、世界中の、飢えや貧困に苦しんでいる人たちも救えるのではないかという気にもになってきた。

しかし、私は紳士に言った。
「でも、今、私の国でお金というものがなくなったら、うまく行くとはとても思えません。きっと誰も仕事をしなくなって、世界が破滅してしまうんじゃないかな」

紳士は笑いながら言った。
「は、は、こんな紙切れや金属の破片のために破滅してしまうなんて、面白い国ですね。まあ、それはどうだか分かりませんが、確かに今すぐは無理でしょうね。私が思うには、あなた方は、まだそこまで魂が進化していませんでも、いずれ私たちのような国が作れるかも知れませんよ。気が遠くなる程、先の話でしょうけれど」

私はもう言葉が出なかった。
話のレベルが違い過ぎると思った。
紳士はさらに続けた。

「多分、そのお金というものを得ることが仕事の目的だと皆が思っているうちは、あなたの国の、真の意味での進歩はないでしょうね。仕事の目的は世の中の役に立つことです。報酬ではありません。報酬を目的にしていると、必ずどこかに歪みが生じてきます自分の行なった仕事以上の報酬を得ようとしたり、必要のない仕事を無理に作って、自分の利益だけは確保しようとする動きが出てくるでしょう。そうなると、完全な競争社会になります。それもお互いの向上を目的としたものではない、単なる足の引っ張り合いになるはずです」

私は、紳士の言っていることが、あまりにも自分の国の状態とぴったりなので、驚きを通り越して恐怖を覚えた。
紳士は最後にこう言った。
「あなたの今やっている仕事が、本当に価値のあるものかどうかを判断する、簡単な方法をお教えしましょう。仮に、社会からお金というものがなくなり、その仕事によって報酬を得られないとしても、自分がその仕事をすべきだと思うかどうかです」




一方的に与えられることだけに依存する人たちが混在すれば、この世界は成り立たない
循環しないからだ。

ゆえに循環させようとする人たちと、依存する人たちとが一緒に存在する今のこの世界では、循環を望む人たちにとっては霊的精神的に非常にストレスを感じても当たり前かもしれない。

お金のいらない国にしたいのに、それを望んでいると自分のハートが訴えているのに。

循環させようとする人たちと、依存する人たちとが相互に矛盾を感じ、一緒にいることにストレスや違和感を感じる。
それが夫婦間やパートナー間、親子や家族間、職場でも起こるだろう。
価値観や真実、成熟の違いが生み出すもの。

この流れは大きな霊的意識上昇を促すに、もってこいの材料だと思う。
いい意味での探求&創造の材料。
そしてシフトや各自のアセンションにも繋がっていく。

この循環を望む人たちが集まってくるのが、ラブスピースカレッジ
自覚があろうがなかろうが。
内なる霊性でやってくる。
成熟すればするほど、このカレッジに意義や霊的深さを見出す。
そして依存型(顕在&エゴ強し!それを土壌に自由意志を行使する)の人たちは、継続することが難しくなり、成熟の甘さから自己のエゴと共にカレッジから自らはずれていく

循環させようとする人たちと、依存する人たちが混在する今の世界でも、せめてカレッジ内だけでも物質において等価値制度やお金のいらない国に存在する奉仕しあう形を生みだしていきたいと思う。

お金に縛られているこの世界から、お金のシステムが崩壊している世界への移行は、決して簡単でもないし安易にできるものでもない。
が、せめて崩壊を望む人たちが集まり、さらにまだ自分の中に内在している利己欲、依存を手放す成熟を心がける人たちで、できるところから取り組めていければ・・・、と感じている。

もっともっと多くの、お金のいらない国を望む成熟に向かおうとする人たちが集まれば、その集まりに衣食住の技術が結集すれば(衣食住を与え合う)、もっとカレッジはお金のいらない国に近づいていくだろうと思う。

そうゆう流れの中に、ラブスピースカレッジから外界へは、この物質主義のお金のある世界のシステムに対応するしかないけど、ラブスピース内界は、お金のいらない国に近づいていく方向が生まれていき育まれていくのではないかと。

ただ何度も言うが、このお金のいらない国は成熟があってこそ成り立つ

まずは、できることから
まずは、カレッジ内から

そこでわたしが提案したいのは、カレッジ内の人たちのブログで、『あげるもの』『ほしいもの』を明確に提示していくということ。

あげることより難しいのは、欲しいもの(必要なもの)を提示することだ。
普通なら勇気がいるだろうと思うが、こうやって循環の仕組みを提示すれば、欲しいものを掲げるのはたやすくなると思う。
本当に必要としている物ならなんだっていいと思う。

この循環は、奉仕を循環させること
始まりは物だけど、それが衣食住やそれら技術や奉仕(働く)、さらに奉仕はもっとある、にまで発展していくことを願いたい。
その仕組みや意義や意味を詳しく知りたい人は、お金のいらない国3冊まるごと読むことをオススメする。
かなり薄い本なので、すぐに読める。

カレッジ内にあるライブラリーコミュ(自本をシェアし貸しあう)もこの仕組みを実は初めから意図している。
このライブラリーのように物を貸しあうという奉仕をすることも素敵なことだと感じている。
関連日記⇒ライブラリー
    ⇒Love Spiritual Peace(ラブスピース) college 開校
また本を貸しあうことというのは、直接会うというコミュニケーションの機会も与えてくれる。
成熟へ向かおうとする者同士の、真実や体験、自己探求状態をシェアするいい機会になるからだ。

必要な物を必要な人へ・・・の奉仕にもうひとつ、この本のように、必要な物を必要な人に貸し出すこともできると思う。
そんなにめったにあることではないかもしれないが、無駄に物を買うことによって無駄な消費に加担することはないと思う。
いろんな意味で、個として所有する必然性がないものならばシェアすることで生まれる豊かさがあると思うから。

これに関してだけは『貸します』を提示するのではなく、『貸して欲しい』を提示するのがいい。
それに応えられる人がその人にアクセスして交流するのがいいと思う。
貸しますを挙げると、きりがないから。

本と同じように、使う側は物を丁寧に扱い、貸し出す側は、使用すれば必然的に汚れたり古くなっていってしまう消耗品だということを忘れないようにしたい。

これら奉仕の循環というものを継続させていくのに必ず注意を払う大切な点は、甘え、利己的さ、エゴ、依存だ。
そして、与えてあげているじゃないかという傲慢さ。

さらに、プレアデスの等価値制度や『お金のいらない国』が自分にとって真実だという生きる人たち、生きようとしている人たちの探求&創造者たちの
土壌上で展開される必要がある
・・・ということ。

ここにお金を支持する、つまりお金の支配システムを支持するという、崩壊を望まない人たちや、与えられるばかりに依存する人たちが混在すれば成り立っていかないという事実がある。



奉仕社会(プレアデス等価値制度&お金のいらない国)関連日記
Free Energy
1:存在する等価値制度的存在
2:物質(経済的自由)を超えた豊かさ
3:Pipe Of Peace
6:愛の協力=愛の共同創造
愛の豊かさ
くちなしの香りに抱かれて過ごした1日





  




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posted by dozen at 22:22| 18 Lotus Life | 更新情報をチェックする
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