☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ I n f o r m a t i o n ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

本当の自分を取り戻していく「自分を愛そう!」愛の拡大支援クリックご協力お願いします^―^v

人気blogランキング  精神世界ランキング  哲学ブログランキング  ブログランキングくつろぐ

2006年10月25日

蓮の目にふと留まった 本からのメッセージ11

以下の内容はカレッジライブラリーより借りた本から。(るりちゃんありがとう。)
恋愛本だが、以下の内容って恋愛に限らず自己探求のエッセンスにもなると思う。


自分の言いたいことを、そのままはっきり言えば愛されていた。
自分のしたいことをしていれば好かれていた。
それを逆に考えて自分を犠牲にして、結果として相手を失ってしまう。

それにしても、なぜ人は実際の自分をそのままでは愛されない人間であると感じるのであろうか?
それには3つの原因があるとアメリカの心理学者カレン・ホルナイは言う。 



●第一位の原因は
その人自身の愛する能力が破壊されているからである。
その人があまりにも自分のことにとらわれすぎているからである。

自分はあの人より能力がない。
あの人は自分より美しい。
あの人は自分より体力がある。
あの人は自分のことを気に入ってくれているだろうか。
あの人は自分の能力を低く見ているのではないか。

などなどあまりにも自分のことにとらわれすぎている。
自分の関心が自分の外に出ていかない。
相手がどういう人であるかということに関心がない。

つまり、自分のことにとらわれすぎているから、自分が相手にどう思われるかばかりが気になって、相手はどういう人かということに関心がない。

もし我々の愛する能力が充分に発展しているなら、自分は愛される人間かどうかという疑問に悩まされない

●第二の原因は自己憎悪である。
自分が自分を憎んでいては、他人が自分を愛することが信じられないというのは理の当然である。
自分を憎むということは、諸悪の根源である。

自分がある人より劣っているということで、自分自身が実際の自分を受け入れられない人がいるとする。
彼は自分がその人より優越しなければ、他人から愛されないと感じるであろう。

自分がある人よりある点で劣っているということが、自分にとって何でもないことになってはじめて、弱点があるにもかかわらず相手が自分を愛していてくれているということが理解できるのである。

人を憎んでもいいとは言わないが、自分を憎んではいけない
自分を憎しみつつも人から愛されたい
自分が自分を愛していないのに人から愛されたい

そこで「こんなことをしたら嫌われやしないか」とか「こんなことを言ったら捨てられるのではないか」とか、余計なことを考えすぎるのである。

「自分が愛されていないのでないか」と悩む
●第三の原因は
望む愛というものが非現実的であるということである。
いったん恋愛関係になるとものすごいことを相手に欲求する。
現実に他人が与えることのできないほどの愛を期待する。
それがなければ、自分は愛されていないと感じてしまうのである。

これも彼らが不安だからである。
彼らは安心するために非現実的な完全な相手を求める
第三者からすれば身勝手としか言いようのないのであるが、彼らは相手が自分を愛してくれないと怒っている。

身勝手な人間の期待を、叶えてあげられる人は現実にはなかなかいない。
しかし彼らは、それが愛であると信じている。
そこで相手は自分を愛していないと主張する。
彼(ら)は相手に母(なるものを求めている
しかし、恋人(相手)にそれを期待しても無理なのである。

愛と主張しているものは、相手に対する愛ではなく、自己中心性なのである。
自分の心理的必要性から相手に求めているということが理解できない。

もし自分の自己中心性に気づけば、その自己中心性こそ自分の人間関係の障害であることが理解できる。

好かれるために自分を犠牲にする。
嫌われやしないかといつもビクビクしている。
それは自分は愛されない人間であると思うからである。

しかしいったん恋愛関係に入ると、今度は心の底の甘えが吹き出してくる。
その満たされない幼児的願望とでも言うべきものを相手にぶつけてくる
相手はそれを叶えることはできない
そこでたちまち恋愛(←人間関係に置き換えてもいい)は地獄になる。

関連日記⇒ジェラシー(嫉妬、ねたみ、特別意識、比較、怒り、傲慢、コントロール)
     ⇒スピリチュアルパートナー



posted by dozen at 09:07| □Lotus Library Essence | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。