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2005年08月19日

インナーチャイルド:2〜傲慢さ〜

  参照記事⇒〈からだ〉の声を聞きなさい - あなたの中のスピリチュアルな友人




<傲慢さ>について語ろうとすると、嫌がる人がほとんどです。
私は今まで、傲慢さを本当に克服した人に会ったことがありません。

傲慢さは恐れの裏返しであるわけですが、また同時に、人間がもともと完全であるという事実からも来ています。
人間は、自分の中に、神に由来する完全さが存在していることをどこかで知っているのですが、その完全さを必ずしも適切に表現しているとはいえません。
むしろ、他者を攻撃することによって自分の正しさを証明しようとすることの方が多いのです。

傲慢さは、また、特に左脳的知的を発達させた人によく見られます。

傲慢な人は、常に自分が正しいと考え、周りの人が間違っていると考えるものです。
勝利者は自分のみ、と考えるのです。

傲慢さが付与すると考えられているパワーは、本当には幻想に過ぎません。
なぜなら、傲慢な人は、最後に必ず失敗するからです。

傲慢さは、人間にとって最も手強い疫病神なのです。
傲慢さから、恨みや憎しみが生じ、人と人がいさかい、民族間の争いが生じ、国家間の戦争が始まるのです。

傲慢さが権力への志向を生み、心を硬化させ、同胞への愛を失わせます。

傲慢な人は常に自分が正しいと考えます。
他者を変えようとするのは、一種の傲慢さだと考えられます。

あなたがもし、心の中で、自分の方が正しくて相手は絶対におかしい、間違っている、と考えているとしたら、その時おかしいのはあなたの方です。
そのままでは必ず痛い目を見るでしょう。

もしあなたが傲慢さをそのままにしておくとしたら、あなたは必ず多くを失うことになるでしょう。
傲慢な人は、人を愛せないがゆえに人間関係で失敗し、さらに健康と幸福を失います
ですから、傲慢さは絶対に割りに合いません。

傲慢な人ほど、自分が傲慢であることを知りません。
うぬぼれがはなはだしいため、傲慢な人に傲慢であることを教えようとする試みは、ことごとく失敗するでしょう。
傲慢な人は、絶対、自分の傲慢さを認めようとしません。

傲慢な人は、自分に異議を唱える人を容赦せず、自分におもねる人だけをそばに置きたがります。
傲慢な人が良いことを行なう場合、心ひそかに人に褒められようと思っておこないますので、必ず悪い結果がもたらされます。

こんなに多くの人が、最初は良き意図をもって物事を始めるにもかかわらず、最後は成功せずに落ちぶれてゆくのは、その途中で傲慢さが勝利を占めるからなのです。

傲慢さには2種類あります。
精神的なレベルの傲慢さと、スピリチュアルなレベルの傲慢さです。

精神的なレベルの傲慢さは、自分はすべてを知っていると考える人を特徴づける傲慢さです。
誰かがその人の知識を疑おうものなら、さっそく傲慢さが浮かび上がってきて、その人は自分の見解を押し付けるために果てしない戦いを開始するでしょう。

傲慢な人を見分けるのは簡単です。
傲慢な人は、押し付けがましい感じで、早口に、そして声高に語ります。
絶対に自分が正しいと相手に認めさせようとします。
そのためならどんな手段でも取るでしょう。
そして、相手が、「そうですか、分かりました」と言うまで、執拗に食い下がるので、本当に手に負えません。

傲慢な人を見分けるもう1つの指標は、「ああ、それなら知っていましたよ」というセリフです。
彼は何でも知っているのです。
でも、もし本当に知っているなら、どうしてそれを強調するのでしょうか?

あなたはどうでしょうか?
「ああ、それなら知っていましたよ」と、言っていませんか?
その場合に興味深いのは、知っていたかどうかを知っているのは、あくまでも(あなただけ)ということです。

もし、「ご存知でしたか?」と聞かれてそう答えたのなら、それはまた別のことです。
あなたは質問に答えただけなのですから。
ただ、聞かれもしないのに、「ああ、それなら知っていましたよ」と言うとすれば、それは傲慢さの証拠にほかなりません。

また、傲慢な人は、自分を変えることができません。
傲慢な人は、1人ひとりの中に神がいるのを認めようとしません。
人を許すことができず、気持ちや感情をありのままに表現することができません。
自分に対して誠実であることができないため、つまり素直であることができないため、霊的な成長の道を進むことができません。
もちろん、そうしたことに関する本を読むこともできません。

あなたが人を恨んでいる間、また恨んだことをその人に詫びられない時、その人の言葉や態度に愛を見ることを怠った時、そういう時、あなたは傲慢になっているのです。

その時、あなたの心の中では、こんなセリフがつぶやかれているに違いありません。
「もし私が詫びたら、相手が正しくて、私が間違っていたということになってしまう!」

傲慢さというものを、あなたの外側に存在している人格を持ったエネルギーだと考えてみましょう。
そのエネルギーは絶えずあなたを支配しようとしています。

あるいは、あなたの頭の中で、常に、あなたにささやきかけて邪魔しようとしている声だと考えてみましょう。
そして、今度は、この<エネルギー>や<声>に主導権を渡さず、あなた自身があなたの人生の主人公になるのだ、と固く決意するのです。

あなたに絶えずささやきかけ、あなたの生き方に邪魔してくるこの声に、超意識につけたのと同じように名前をつけてみましょう。
*蓮は促がされた文章以外は読んでいないのでわかりませんが、この言い方だときっと他の章で名前をつけることがあるんだと思います(笑)
名前をつけるなんて、楽しいですね♪

カンタというのはどうでしょうか?

あなたの心の中に傲慢さが姿を現すたびに、こう言うのです。
カンタよ、出て行きなさい。君を呼んだ覚えはない!」そう、「さっさと帰りなさい!」と言うのです。

これは効果絶大です。
傲慢さが頭をもたげ始めると、あなたは自分自身ではなくなります。
あなたは内なる神を表現することができなくなるからです。
ですから、決して傲慢さに負けてはなりません。

あなたの傲慢さは、あなたの中に居座り続けるためならどんなことでもするでしょう。
傲慢さをコントロールしようとし始めた瞬間に、それはあなたに襲いかかるでしょう。
何週間にもわたって、執拗にあなたを攻撃し続けるに違いありません。
私の個人的経験から言うと、あなたがもし今日、傲慢さをなくそうとし始めたなら、これから3週間は大変やっかいなことになるでしょう。
でも、それ以降は、だいぶ楽になり、すべてが良い方向に向かうはずです。

あなたの傲慢さは恐がっているのです。
それはちょうど、いつも厄介ごとを持ち込んであなたを悩ませる隣人のようなものです。
今までは、1日のうちいつでも、その人が来ればドアをあけていましたが、もう今日限りでそれをやめることにしました。
そして、こう言ったのです。
「もうそんな話は聞きたくありません。明日からはもう、うちに来ないでください。」

すると、その人はパニックになります。
ストレスを解消する場がなくなってしまうからです。

その人は、あなたからもう来てくれるなと言われたにもかかわらず、なおもしつこくやって来ます。
あなたが本気なのかどうかを確かめようとするのです。

傲慢さに関しても、まったく同じことが起こります。
しばらくのあいだは、あなたの中に居場所を確保しようとするでしょう。
でもそれも時間の問題です。
やがて来なくなります。
でも、それには、あなたは1歩も引き下がることなく戦い続ける必要があるでしょう。

傲慢さをやっつけるにはものすごく意識的にならなければいけません。
それほど、傲慢さというのは手強いのです。
きわめて意識的にならなければ、自分が傲慢であるということすら分かりません。

何世代にもわたって続いてきた傲慢さは、そう簡単には引き取ってくれません。
毎日、小さな勝利を重ねることによって、最終的な勝利を得るしかないのです。
それには、<愛>を実践するのが一番です。

傲慢さというのは、あなたの<低位の自我>つまり<エゴ>から出るものです。
それに対して思いやりというのは、あなたの<高位の自我>つまり<魂=(真我)>から出てきます。
あなたが魂とのコンタクトを深めれば深めるほど、傲慢さは消えていきます。

さて、次にスピリチュアルなレベルの傲慢さについて語りましょう。
スピリチュアルなレベルの傲慢さには本当に注意する必要があります。
なぜなら、あなたがスピリチュアルな面で成長すればするほど、そして意識を拡大すればするほど、実はスピリチュアルなレベルの傲慢さに足をすくわれる危険性が高くなるからです。

人間は、スピリチュアルな面で成長すると、どうしても他人よりも自分の方が優位に立っていると思いがちです。
自分は特別な人間だと思い始めるのです。
「私は彼よりも優れている。彼は、まだ私ほど悟っていない。」

こんなふうに考え始めるのですが、これこそが、スピリチュアルなレベルの傲慢さと言われるものなのです。

私は、スピリチュアルな面で非常に進んだレベルに達した人たちを数多く見てきました。
しかし、彼らが、自分は特別な人間なのだ、周りの人間とは違うのだ、と思い始めた瞬間から転落が始まるのをしばしば目撃してきました。

意識が拡大して気付きのレベルが一段と上がった時が危ないのです。
あなたの心境が高まったからといって、それで他の人の存在があなたより劣っている、ということにはなりません。

もしあなたが、自分よりも他人の方が人間的に小さい、と考えたとすれば、あなたは、他人がネズミで自分はゾウだと考えているのです。

でも、動物として、ゾウの方がネズミよりも優れているのでしょうか?
もし、優れている、と考えたとしたら、あなたはきわめて危険な領域に足を踏み入れつつあります。
それは、「自分は神だが、他の人は神ではない」と言っているのと同じだからです。
自然の法則は、人間1人ひとりが神である、と言っているはずです。

傲慢さがなぜやっかいであるかといえば、あなたが傲慢になると必ず相手の中に隠れている傲慢さを引き出すことになるからです。

傲慢な人間が2人向き合ったらどうなるでしょうか?
結果は、常に<2人の敗者>の出現です。

自分の傲慢さを統御したいと思うのであれば、相手が自分の正しさを強固に主張し始めた時に、あっさりこだわりを捨てることです。
その時、その人は、自分が正しいことを確信しているのです。
あなたが自分の真実を良しとしているように、その人も自分の真実を良しとしているのです。
どちらが正しいでしょうか?
2人とも正しいのです。
ですから、争うだけ無駄なのです。

あなたがその人の<真実>を心の中で認めればよいのです。
そして、自分の<真実>も同様に心の中で認めればよいのです。

その上で、もし可能ならこう言うとよいでしょう。
「分かりました。あなたの見解は私のとは異なっており、私にはうまく理解できませんが、それでも私はそれを受け入れます。あなたにとって、その見解はとても大切なものだと思うからです。」

こう言えば、いさかいは避けられるでしょう。

傲慢な人は、常に自分が勝ちたいのです。
自分が正しいと思いたいのです。
負けたのは相手だと考えたいのです。

今、あなたも相手もそう考えているはずです。
だとしたら、上のように言うのが一番でしょう。
そういうふうに言えば、相手は少なくとも自分が負けたとは思いません。
また、あなたも負けたわけではないのです。
これで血みどろの戦いは避けられます。

あなたがもし、相手に合わせようとして無理に自分の考えを変えたとしたら、それはあなたが相手に服従したことになり、2人とも<敗者>になります。

あなたは無理に相手に服従したことで、相手にエネルギーを奪われ、相手は不当なやり方で<権力>を手に入れたことになるからです。
不当な方法で権力を手に入れた人は決して<勝者>とは言えません。

私たち人間は他者からエネルギーを奪い取るべきではないのです。
エネルギーは自分自身の内部から得るべきなのです。

傲慢さによって他者を服従させた人は<自動的に>敗者になります。



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posted by dozen at 22:06| 04 Lotus Life | 更新情報をチェックする
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